4月16日・17日

7、8日目

テヘラン市内観光  〜成田


今日はもう日本に帰る日である。
似合うとは言いがたいが鏡に映るわがスカーフ姿にもなじんできたので、旅行が終わってしまうのは残念だ。
8時 朝食
9時45分の出発。 
考古学博物館へ行く。 
少し手前のもとの王室ガーデン(今は外務省)から入ることにして、バスからおりて写真を撮っていたら、門の外からは撮ってもよいが、中はだめ、と言う風な合図を兵隊がした。テヘランではいたる所に兵隊がいて、ちゃんと銃を持っている。でも一応注意するだけ、という程度。通り抜けできなかったので、バスにもどり、普通の入り口から入る。

王室ガーデン入り口 入ったところ、雪をかぶったアルボルズ山脈

10時〜12時  考古学博物館 ここには紀元前5000年くらいから、ササン朝(AD226〜651)までのものが展示されている。
中にはいって、かなり長時間地図を前にアリーさんがイランの歴史を講義。
古代文明の起こった地である中近東各国では、かなりのものが発掘したヨーロッパの国々に持ち去られているとはいえ、やはり現地だけに収蔵品は素晴らしいものがある。早く見て周りたいのに、と説明もうわのそら。
そのあたりの大きな壺などをビデオにおさめはじめる。
 失敗だったのは、当然この博物館の全所蔵品の図録があるものと思い、年代、出土地などを記録しなかったこと。なんと図録はつくってないそうで、写した写真は年代がはっきりしていないものが殆どである。

たぶんBC5000年ころのもの

これはAD3、400年ころのローマ風モザイク

ササーン朝 ケルマンシャー出土
柱頭のようだが、模様がペルシャだ
左の柱頭らしきものの側面
BC2000年ころの壺 BC1000年ころの壺

歴史の説明のあと、展示品を説明しながら、ひとまわり。
図案は動物が多いがそれも牛と山羊。
牛は恵みの象徴、山羊はリーダー。(山羊はよく、ドクターとか、プロフェッサーとかになるでしょう、とアリーさんは言っていたがそういえばそうだ)
ここにあるものでは、ルーブルに持ち去られた、ハムラビ法典が書かれた石碑以外はすべてオリジナル。 

ハムラビ法典の石碑 
左がハムラビ王、右がシャマジュ神
    (太陽神、肩から、光が出ている)
スーサの近くのジッグラトーの戸のところ
この穴に棒をいれてロックした
二段目と下段に文字が書かれている

ダリウス一世 髭のない人は宦官
大王夫人はユダヤ教徒であった

スーサ出土、エジプト支配を表す台座、衣に文字がかかれている。
もとは右図のようであったが上部が無くなった。

BC2000年頃のお棺(母親のおなかの中、の形)
また生まれてくるようにこれに入れて、
家の地下に埋めた

お棺

フリータイムには別館にいってもよい、そちらにはセラミックがある、というので、いそいで、別館に行った。
別館にはイスラム時代になってからのものが展示されている。
二階に上がると、ガラス製品はなかったがイスラム時代の絵皿にすばらしいものがいくつもあって、感激。
どれも素敵で取捨選択が困難なので、撮ってきた写真はすべて載せる。時代はひかえなかったが、どれも9〜11世紀、イスラム時代のもの。壺は13世紀だったような気がする。(下の一段を除くと、どれも拡大できます)

10世紀 13世紀のランプ 9〜10世紀

コーランの写本や刺繍の十字架もあった。

コーランの写本 ミフラブ

木彫りの扉 本館にもどって、ササン朝のガラス器

もっとあるようで見たかったがあまり時間がない。それに広くてぐるぐる廻っているうちに階段の場所もわからなくなってきた。
ショップがあったので、図録を買いたいと思ったがない。本館のショップに戻ったてみたが、ここにもなかった。
これだけのものいがあるのだからきちんと作ればいいのに。
お土産用に石でできた、ペルセポリスのレリ−フを模したものを三つばかり買ってしまった。重くて 大荷物になって少し遅刻して、バスのところに駆けつける。ここは絶対、あと一時間以上いたいところだ。
 バスで近くの昼食レストランへ。

レストラン入り口 アーブ・グシュートの準備のできたテーブル

メニューは名物のアーブ・グーシュト
シチューがはいった壺とステンレスの棒が運ばれてくる。スープをボールにあけて、そこにはナンをちぎっていれて、食べる。シチューの固形のほうは先が平らになった棒でおしつぶして、ドロドロにする。それをナンにくるんで食べる、というもの。おいしかった。
 この時は飲み物(コーラなどはついている)にビール(有料)を頼んだ。ノンアルコールだが、ツボルグだったので、たのんでみたら、ノンアルコールだがしっかりビールの味はした。

シチュー材料は羊肉、トマト、ジャガイモ、ひよこまめなど

デザート

このレストランの出口で、なんと、03年のフランスのツアーで、そして、95年のこれもフランスのツアーでご一緒した、K氏に出会った。W社のツアーでこちらにいらしていたのだ。。
ここでは驚きの声をあげただけ、飛行機が同じだから空港で、と話もそこそこでバスに乗る。
それから、、エマーム・ホメイニ霊廟へ行く。イラン・イスラーム共和国としては、象徴的人物なので、外国人観光客を連れていきたいのだろう。申し訳ないが私としては博物館にもっといたかった。
霊廟は建設途中でこの先まだ何年もかかるそうだ。
靴を脱いで男女別々の入り口から入る。

子供もしっかりお祈りを捧げていた

私は今日は帰国の日なので少し短めのジャケットだったが、
注意されると困ると思って長いレインコートを羽織った。
しかしそういう必要はなさそうだった。
中は体育館のようにだだっぴろい。
まん中あたりに格子で囲まれた場所がありそこがお墓だった。
どこでも霊廟は緑色だ。


中はまるで体育館 お墓
格子の中にはホメイニ師の写真 ここは女性のためのお祈りの場

霊廟の横はここに詣でた人のためのお土産物屋さん、というより、スーパーがあった。
また、広大な敷地はお弁当を広げた跡があったり、ここで、キャンプをしている人もいた。
バスに乗って空港へ。
空港に向かうバスは最後にアサディ・タワーの近くで写真ストップ。
これは1971年にペルシャ建国2500年を記念して建てられたそうだ。
皆それぞれ、アリーさんや添乗員さんと一緒に写真を撮って名残を惜しんだ。

アサディータワー

空港ではまたまた、なぜだか(中ではすぐ一緒になるのに)男女別々に入る。荷物検査も パスポートコントロールも時間がかかる。
ここはパスポートが機械読み取り式になっていないようで、間違えないようゆっくり確認しながらパソコンに打ち込んでいくのが時間のかかる理由のようだ。

そうして、中にはいってそこで、K氏に再会。
それぞれのツアーの添乗員さん自慢にガイドさん自慢(両方とも名前はアリーさんだった。イランでは三人に一人はアリーさんだそうだ)から始まって、お互いロマネスク好きなので、話がはずんで待ち時間もあっという間に過ぎた(イランでは国際線は3時間前にチェックイン)。
ここの空港ショップではキャビアを売っている。小さいカンで120ドル。円もカードも通用しないので、買えるだけのドルは残してあったがなんとなく勿体無い気がして買わなかった。
結局主人にはおみやげ無し。
女性用にはいろいろあるが男性用となると、Tシャツくらいしかないのだが、今回は、これ、というTシャツもなかったのだ。
 
飛行機に乗るとやれやれ、これでやっとスカーフをはずして、上着が脱げる。
でも今度は、スカーフを取るのがためらわれる。 どうせ、スカーフを被るから、と今回はドライヤーは持ってこなかったので髪がどうなっているか心配。皆さんも同じで家まで被って帰ろうかしら、などと言い合いながら乗ったが、さっさとはずしてしまった。矢張りうっとうしいものなのだ。スカーフを被らなくてよくて、ワインも飲めれば 今回行かなかった 西イランにもいってみたいのだが。
 帰りの飛行機はすいていて、乗客がだいたいおさまったころ、席は自由にかわってよかったので、後ろの窓側で3席あいているところへ移動。、途中横になることができた。
 帰りもまた、ソウル経由。ここは免税店がたくさんある。主人に何もないのが気になって、フェラガモ、エルメスとネクタイを見て廻ったがこれまでに買ったことがあって締めてもないのと似たようなのしかない。どうしよう、と思っているうちに時間切れ。仕方がない、お菓子や飾り物で勘弁してもらいましょう。
 また機内にはいって、お食事が出て、成田。
 飛行機も無事。突如戦争などということもなかった。

今回は18人中、ご夫婦三組、女性の友達同士一組、男性一人参加三人、女性一人参加七人。女性一人参加が多かったからか、気楽で楽しい旅だった。
添乗員さんは「経験は浅い、入社してちょうど一年だ」とおっしゃっていたが、とても落ち着いていて、テキパキと仕事をこなされたし、現地ガイドのアリーさんもジョーク好きの面白い人で飽きさせずに上手な日本語で説明をしてくださった。
良い旅行ができて感謝である。