2日目

8月13日  

ダブリン〜タラ〜ニューグレンジ〜ベルファースト


 曇り、時々晴れ、そして雨
5時
  起床
7時  朝食 バイキング 墨のようなソーセージ風のものをとってみたら、中身はレバーに木の実
 食後 少し ホテルの外を歩く。 ホテルは町はずれにあり、前には運河がある。
風が少しあるがさわやか。長袖ブラウスにロングベストで丁度良い。現地の人は、薄手のレインコートや、中綿ジャケットを着ている。
この旅をとおして、日本なら、10月末くらいの気温だった。お天気も曇りが多く、時々晴れたり降ったり

8時30分 ホテル出発。
9時50分〜10時30分  タラの丘
バスは小さい売店のある駐車場に停まる。 右手にセント・パトリックの像、左手にセント・パトリック教会を見ながら緩い坂道を歩く。 あたりは牧草地せ、干草ロールがころがっている。

案内図と干草ロール

聖パトリック像

紀元前200年頃から、アイルランドに移住してきたケルト人は、小王を中心とする氏族集団を作り、それらがまとまって、部族集団、さらにそれらがまとまった大部族集団が州であった。
州王の中でもっとも有力な首長を上王(ハイキング)という。
このピラミッド構造は緩い連合で、上王も絶対的権力者ではなかったという。
上王は タラに王城を構え、三年毎に行なわれる、祭り、集会、裁判、市などを主催しという。
ここが、古代アイルランドの中心地だったのだ。アイルランド人の心の故郷、『風とともに去りぬ』でも、「タラに帰ろう。」というセリフがあったような気がする。

聖パトリック教会を過ぎると、右手に低い塚が見える。小さい入り口は鉄のパイプの戸でふさがれている。
これは、『人質の丘』だ。
人質というのは、ハイキングのコーマック王が連れてきた人質に由来するが、塚そのものははずっと古くからあるもので新石器時代の羨道を持つお墓だ。

人質の丘

アイルランドには神話、妖精物語、民間伝承といった類の話が多い。こういう、類のものは、なるほどと思う教訓を含んでいたり、その土地の由来のあれこれを知ることができたりして面白いものもあるのだが、いささかテンポがのろくて退屈、というものも多い。
その点モダン・ファンタジーはそういう 伝説などをとりいれながら、現代人の好みにあうように書かれているので、読んで楽しい。

私の愛読書にアイルランド出身カナダ人女流作家、メリングのモダン・ファンタジーがある。童話だが、大人が読んでも楽しい。 
そのメリングの『妖精王の月』(講談社)は、妖精世界への入り口がこのタラの人質の丘なのだ。

このあたりは、緩い起伏が続き、のどかといえばのどかだけれど丘以外何もないところなので、この童話を知らなければつまらない場所と思ったに違いない。作家の想像力というのは凄いものだとも思った。
人質の丘の向こうがタラのシンボルともいえる、『ファルの石』の立つ丘。

ファルの石

アイルランドらしい円環付き十字架(ケルト十字)

タラの王を選ぶとき、選ばれた王が王の正当性を示すためにこの『ファルの石』に触れる。
王に応しいものが触れると石が雄叫びをあげるという。
小雨がパラついて少し寒い。 
日本は今ごろ暑いだろうな、と思う。
バスに戻って、ニューグレンジへ向かう。

ボイン川

11時5分〜 ニューグレンジ
ここは、世界遺産のせいか、観光客が多い。
大きなビジターセンターがある。
ここで、行列をつくって順番待ちで入場。 
説明ビデオをみて、川をわたって、バス乗り場へ。
12時15分にここのバスに乗って、5,6分離れた、古墳まで行く。

古墳のところでも少人数しか、入れないので、かなり待った。
待っているあいだに巨大な古墳を一回り。
思いっきり緑の中。
ただ電動芝刈りの音がうるさいのが興ざめ。

古墳遠望

待っている間暫く遊ぶ

古墳の入り口の巨大な石には渦巻き模様。 これはB.C3000年頃作られた、羨道墳。
修復されているのだが、周りは白い石英(ウイックローから持ってきた)で囲われている。黒っぽいのは石灰岩。上から見るとハート形で直径90メートル位、高いところで11メートル。

入り口遠望

入り口の渦巻き模様の石

中に入ると、細い道が真っ直ぐ20メートルほど伸びていて、先端は十字架形。
その奥のところから、入り口を振り返ると、入り口上部に穴(ルーフボックス)があり、冬至の日には17分間、日の出の光が墓室を照らすのだそうだ。
土台は一個約5トンの石が97個使われており、天井も石がビッシリで、雨水がはいらないようになっている。
ともかく狭くて、写真は勿論だめ、荷物をぶつけないように、気をつけなければならなかった。すり鉢上の石があったが、これは火葬した聖灰を入れたそうだ。
 
バスでビジターセンターに戻り、2時から昼食。
 フルーツカクテル、キッシュ(野菜)人参サラダ、豆、きゅうり、トマト、
 苺のチーズケーキ 紅茶
 
2時50分  バスで、ドロヘダへ(20分くらいで着いた)
 セントピーターローマンカトリック教会に入る。

よく見えないがオリバー・ブランケットの骸骨

1681年、カトリックであったために、イギリス側に殺されたオリバー・ブランケットの頭骸骨があった。15分くらい教会を見て、聖ローレンス門を見に行く予定だったが、渋滞がひどくて近づけないので、見ないですぐにベルファストに向かった。
イギリスのような田園風景。所々に森。

ダンドークあたりから、山が近づいてきた。
湖沼地帯があり、メリングの『ドルイドの歌』を思い出した。
ボイン川からこのあたりが舞台になっている個所があるのだ。
またこのボイン川はジェイムズ二世ひきいるカトリック軍とオレンジ公ウイリアムひきいるプロテスタント軍の雌雄を決する戦いの場としても有名だ。(1690年のこの戦いで、カトリックは決定的な敗北をきする。)
途中、事故があったらしく、渋滞してかなり時間がかかり、4時35分ごろ、北アイルランドに入る。別に入国審査があるわけでもなくそのまま走って、
5時45分ホテルヨーロッパ
着。

ホテルには今朝届かなかった二人のロストバゲッジのスーツケースが既に届けられていた。
空港の出迎えガイドさんが、きちんと手配してくださったのだろう。こういう点がパッケージツアーの安心なところだと、改めて思った。 

自慢ではないが、私の読書の幅は広い。
歴史やファンタジーだけでなく、もっとも愛読しているのが、ミステリーとかスパイ小説の類。
ジャック・ヒギンズという作家がいる。
IRAものを沢山書いている。私がアイルランドに関心をもつきっかけのひとつに彼の小説の影響もある。
このホテル・ヨーロッパが出てくる作品もあるので、泊まりたかったホテルである。
『闇の天使』という小説の主人公はこのホテルに泊まり、ブッシュッユミルズ(アイリッシュ・ウイスキーの銘柄)を飲む。
ここはベルファストで一番の高級ホテルらしくクリントン大統領も泊まられたそうだが、最も多く銃撃の的になったホテルでもあるらしい。

ヨーロッパホテルのロビー

泊まった部屋

お部屋は木がふんだんに使われていて、浴槽のふちも木。
椅子は布張りでゆったりと大きく落ちつた感じの良い部屋である。
窓からは、200年の歴史を誇る、というクラウンというパブが目の前に見える。左手には鐘楼があり(プレスビテリアン教会)澄んだ鐘の音が聞こえてくるのも嬉しい。

部屋から見下ろすとこのパブ 左手には教会

夕食前にホテルの近くを少し散歩する。建物が黒っぽいところが、スコットランドのエジンバラを思い出させる。しかし、新旧入り混じった建物で、ダブリンのホテル近くの様子のような落ち着きはない。

8時15分  夕食
 野菜スープ、
 ポーク、下にマッシュポテトが敷いてあり、甘いソースがかかっていて美味しかった、
 ピーチ・シュークリーム、コーヒー、ギネスビール 泡は5cmくらい。少し酸味があり、ねっとりまろやか、あとになると少し苦味があった。