4日目

8月15日 

ロンドン・デリー〜ドニゴール〜ドラムクリフ〜スライゴー 


 晴れ時々曇り,  雨こそ降らなかったが寒かった。

デリーはあのダニー・ボーイ(ロンドン・デリ−)の町である。この歌はイギリスに対するプロテスタント・ソングだ。
この町はもともとデリーという名だったのが、17世紀にイングランドとスコットランドの植民地時代に<ロンドン・デリー>という名になり、これが現在も公式名称。しかし地元のナショナリストはデリーという。

7時15分 朝食 ホテルのショップで、マグネットなどを買う

8時 出発 市内観光
まず丘の上から市内を見下ろす.
蛇行している川はフォイル川。

8時35分 ボグサイトにて写真ストップ。
ボグサイトは沼地側、という意味で貧しいカトリック居住区。
北アイルランドはつい最近まで、テロが多くて危険で観光は無理、とされていた。この町もプロテスタント居住区(ファウンテン地区)の歩道の区切りには赤、青、白に塗り分けられたところがあり、カソリック地区は緑、、黄色、白(国旗の色)に塗り分けられている部分があった。

家々の壁には「敵をやっつけろ」の意味か紛争を思い起こさせられるような絵が描かれている

中世趣味で現代の情勢に疎い私のような人間でも 血の日曜日事件、というのは聞いたことがある
 1972年 イギリス領である北アイルランドのカトリック住民は種種の差別を受けていて、不平等是正をを求めていたが、この公民権運動のデモにイギリス軍が銃撃、13人のカトリック市民が亡くなった。ビートルズの歌にもブラディサンデー の歌があるほどの事件だ。
その記念碑がここにある。
何となく重い気持ちになるが、でもしっかり記憶にとどめておくべき場所だと思った。

城壁内にはいって、中心のダイヤモンド広場へ、そこから、徒歩で聖コラムズ大聖堂へ。
ここはプロテスタントの教会。(1633年) 

聖コラムズ大聖堂

アーチの上は司教の紋章
 白い帽子の上はロンドンデリーの市の紋章
よく見えないが、左に塔、右に骸骨が描かれている

このデリーにはプロテスタントが入植していたが、1689年、ジェイムズ二世(カトリック)の侵攻に抗して、プロテスタントは城壁に105日間立てこもったのだが、そのと飛んできた大砲の弾(ドッジボールよりもう一回り大きい鉄の玉)が教会の入ったすぐの所にかざってあった。
また教会内の壁に骸骨のレリーフがあったので現地ガイドに聞いてみると、その戦いで亡くなったプロテスタントの骨を表しているのだそうだ。しかし買ってきたパンフレットには、1672年に亡くなった市長ヒュー・エドワーズの記念碑とあった。日本人とヨーロッパ人では骸骨に対する感じ方が違うようだ。
教会を出て、城壁ウオーキング

イギリス軍の監視塔があった。監視カメラとマイクがついている塔で見張りの兵隊がいるわけではない。 近くの建物にはIRAと落書きがされていた。
途中で、聖コラムキル聖堂を見た。聖コラムキル(521?〜59、アイルランドの守護聖人の一人で、このデリーほかいくつもの教会を建てた人。コロンバという名前のほうがよく知られていると思う)が最初にデリーに建てた教会、ということだが、これはそれを再建したもの。
 城壁をおりて、16〜19世紀の町を再現した、クラフトビレッジでフリータイム

聖コラムキル聖堂

クラフトビレッジ

かわいい喫茶店に入ってお茶をのんで、お土産物屋さんでアイリッシュリネンにケルト模様が描かれているクロスや絵葉書を買った。

右手のフォイル川が国境

10時50分 バスで、ドニゴールに向かう。
11時15分ごろストラーベン国境を越えて南アイルランドに入った。別にパスポートコントロールがあるわけではない。
この南アイルランドに入る手前あたりはジャック・ヒギンズの小説『非情の日』に出てくるので、特に興味を持って窓の外を眺めていた。
小説では農家の納屋の積み藁の中に武器を隠していたりするのだが、とてもそんな風には見えない。新しい、そこそこの大きさのこぎれいな家が並ぶテロとは無縁な、豊かでのどかな町に見えた。
国境を越えて暫く行くとバーネスモアという谷間を通った。
空はどんよりくもり、木が一本も生えていない苔むしたような山、裾野にはヒースがさびしげにゆれていて、印象深い素敵な眺めだった。

12時5分 ドニゴール着
小さい広場に面した、アベイホテル内のレストランで昼食。
絨毯がケルト模様。壁に古い馬具が飾ってあり、いい雰囲気。

レストラン

壁に飾られた馬具

絨毯の柄が、ケルトの写本

ドニゴール城

食後、少しドニゴール城を見る。
(外観だけ中にはたいしたものはないらしい)

10分くらい歩いて、フランシスカン修道院跡へ行く。
一人ではちょっと来られないほどの怖いくらいの廃墟。
円環付き十字架(ハイクロス)
が沢山立っている墓地。

アイルランドでは十字架に磔刑の意味は希薄だそうだ。最初は異教のシンボルとして、その後は人間の普遍的なものとして受けいれたという。
円は太陽信仰と輪廻の思想の象徴で、8世紀ごろから作られるようになったという。
この十字架は墓碑としてだけではなく、その位置によって、教会の守護的な役割のもの聖堂行事と関連するものなど、一定の取り決めがあった。

エスケ川にのぞむ墓地

教会の廃墟

海だか川だかわからないような水辺でひたすら寂しい眺めだが、はるか彼方にきたという感じがしてこういう景色を眺めているのも私は好きだ。

2時20分バスでスライゴーに向かう。
3時15分〜3時55分 ドラムクリフ
ここは観光予定には入っていないがとても来たかった場所。
スライゴーのホテルに着いたらタクシーで来ようかと思っていたので、案内していただけてとても嬉しかった。
頂上が平らなベン・ブルベン山が見える。
このドラムクリフにはノーベル賞を受けた詩人イエーツのお墓があり、また円塔と十字架も有名だ。

向こうの平らな山がベン・ブルベン山

ハイクロスとラウンドタワー

ここの円塔(9世紀頃のもの)は上の方がなくなっている。12世紀に雷のため壊れたそうだ。
ハイクロスは11世紀のもので、聖書の場面が彫られているがケルトの渦巻きもようも彫られている。彫刻のある古い本格的ハイクロスはここで初めて見るので感激した。

ハイクロス

この地は聖コラムキルが修道院を建てたところだが今あるのは新しい教会。イエーツのお墓は十字架ではなく詩の刻まれた石版。

イエーツのお墓

4時5分からスライゴーの観光。
美しい グレイボーグ川沿いを歩いた。

スライゴー博物館でイエーツの遺品を見てイエーツの弟の絵のあるギャラリーへ行き、それから、スライゴー修道院へ。でも中にははいらなかった。これは1253年に建てられたが、1414年火事に遭いその後再建。しかし1648年イギリス軍によって破壊された。通りから見ただけだが、残っている彫刻などなかなかいい感じだった。(私の好み)

スライゴー修道院

廃墟に残っているレリーフ

5時45分 スライゴーパークホテル
6時45分から夕食
これまで、座席の都合でできなかった自己紹介をする。
アイルランドはつまらない、という人が何人かいてびっくり。私などそれこそ恋焦がれてやっと来られたと大感激しながら旅をしているのに。添乗員のTさんはアイルランドには何回かいらしたことがあるそうで、テキパキと仕事をこなされる方。彼女が詳細な旅日記を書いて毎日配ってくださったので、いろいろ思い出すことができました。感謝。
24人の参加者のうち女性一人参加は5人。
アイルランドは妖精の国、ということもあるのかこの会社のツアーはいつもどちらかというと年配者が多いいのだが今回は若い方も多い。
女性が圧倒的、ご夫婦以外に女性グループもいる。女性一人参加は5人のうち、一人若い方で、あとの四人は私と同じくらいの年齢。いきおいこの四人で食事をすることになる。ただ、アイルランドに来た目的は様々。歌が好き、(コーラスをなさっている)とかダンスが好き、とか、他がキャンセルになったのでやむなくとか。映画や小説が好き、という方たちでないのがちょっとさびしい。