7日目

8月18日  

ゴールウエイ〜バレン高原〜モハーの断崖〜アデア〜キラニー


   曇り、時々晴れ、そして、時々雨

朝,雨はあがっていた。
このツアーではゴールウエイの市内観光はない。
しかしゴールウエイは『ザ・デッド』という映画の影響でとても来たかった町なので、少しでもよいからと、朝6時半にタクシーを頼み朝食前にプチ観光。
まず、スパニッシュゲートへ行ってもらう。
アイルランドへイギリス人がやってきた第一陣は12世紀ヘンリー二世時代で、騎士たちはアイルランドの氏族と争ったり、首長と婚姻関係を結んだりしながらアイルランドに同化していったが、13世紀にゴールウエーを拠点としたアングロ・ノルマン領主リチャード・デ・バー以来、町は急速に発展し、スペインなどから、船乗りや商人がやってきて栄えたという。
その名残がスパニッシュ・ゲートという名に残っている。川沿いにあるアーチだがゴミが捨ててあって、きれいではなかった。

スパニッシュアーチ

広場には錨

アーチのプレート

広場の横を流れるコリブ川

それから、ノラ・バーナクルの家へ。

ノラ・バーナクルの生家

とても小さな二階建て長屋の一室のようで、現在は記念館になっているらしい。
勿論朝早すぎて、あいてはいない。
ここは昨日探したのだが、みつからなかった。
ところが聖ニコラ教会の数軒先だった。

それからナンズアイランドへ。
カテドラル(ゴールウエー大聖堂)前の広場の横がナンズ・アイランドという通り。横は川で川中島がある。これがナンズ・アイランド。
昔、女子修道院があったから、ナンズアイランドというのだ、と運転手が言っていた。(運転手はヌンと発音していた。アイルランドなまり?)

ナンズ・アイランド通り

ナンズ・アイランド

『ザ・デッド』の中で、女主人公グレタが

ゴールウエイ大聖堂

「昔ナンズアイランドに住んででいたとき」、というところが出てくるので、ゴールウエイに行ったら是非どういうところか見てみたかったのだ。
雨上がりで、川沿いや教会前の広場のグリーンが美しく、まだ朝7時頃なので人も殆どいない。
思い切って来てみてよかった、と感激しながらホテルに戻った。
タクシー代は10.5ユーロ+チップ1.5ユーロ。

7時半 朝食 ビュッフェ

9時  ホテル出発
ホテルのある丘を降りて、サウスパーク海岸を見ながら進む。
クラダリングのクラダ岸橋を渡り、ゴールウエイ湾を右手に見て進む。川か沼か泥の塊のようなところを抜けると草原で牛がいる。9月にオイスターフェステイバルが開かれるというクラレンブリッジを通った。
9時38分頃 16世紀に立てられたドゥーンゲア城の廃墟の横を通った。入り江をみおろす気持ちのよい所。だんだん、木がなくなり灰色の山勝ちになってくる

10時15分〜5分間ほどバレン高原の入り口で写真ストップ。

バレン高原の入り口

ところでイギリスのアイルランド侵入の第二波、第三波はカトリックから英国国教に改宗した、ヘンリー八世、とそれに続く時代。
アイルランドにも宗教改革を行なおうとしてプロテスタントを入植させたのだが、次の第四波のクロムウエルの遠征は非常に残忍な殺戮を行なったという。そのとき軍の調査隊はこの地を見て 吊るす木も、溺れさせる水も、埋葬する土も十分にない土地、と驚いたそうだ。

10時25分〜10時45分バレン高原のまんなか巨人のテーブル と呼ばれる、ドルメンのあるところで、お散歩。
 これは5000年以上前に造られたお墓。巨人のテーブルというので巨大なものを想像していたが、さほどではない。
現在はどうやら、ロープがはられて入れないらしいが、私の行った2002年夏は中にもぐりこむことができた。イタリア人の観光客など中で石を持ち上げる真似をして大はしゃぎ。

バレン高原の石畳

巨人のテーブル

イニシュモア島より、表面が滑らかだが、やはりみごとな石畳である。しかし石の割れ目から可愛いお花が沢山さいていて、石のかげに妖精がいてもおかしくはないような風景だ。『妖精王の月』ではここで妖精たちの宴会が行なわれるのだが、、、。

石の間の草花

バスに乗ってモハーの断崖に向かう。

11時5分〜11時25分  キルフェノーラのバレンセンターでトイレストップ。
キルフェノーラに止まります、と添乗員さんがいうので、もしや、と窓の外に目をこらす。
堀淳一氏の『ケルト・石の遺跡たち』筑摩書房 にキルフェノーラ大聖堂の廃墟に残る面白いレリーフの写真がでていて、ゴールウエイで時間があれば車で行ってみたいと思っていたのが時間がなくあきらめていた。それが見られるのではないか、と期待したのだ。
バスが止まる寸前、どうやらもとは教会だったらしい廃墟が見える。

ともかく時間がないので、いそいで、そちらに走る。天井はないが、まさしく1189年に建てられたというその教会。お墓がある。アイルランドらしく年月に風化したようなケルト十字や、まだ現役の教会なのか、新しいものもある。修復中のようだがこわれた石組みの間を入ってみると、、本にでていたレリーフがあって大感激。
浮き彫りがふたつに線刻がひとつ。司教を彫ってあるのだがなんとも稚拙、しかし味がある。

窓の左右に全く異なるタイプの司教像

拡大しないと見えないがこれは
線刻、13世紀の司教の墓石

ケルトの組紐模様の碑

思いけなくこの教会が見られて大満足。バレンセンターにはいって絵葉書がないかとさがしたが、バレン高原の植物が中心で教会のものはなかった。

11時45分〜12時45分 モハーの断崖

バスをおりて少し坂を登るのだが途中、アイリッシュハープを奏でながら、CDを売っている人がいた。
CDは買わなかったが、とても綺麗な声なのでビデオでそのあたりの景色を写しながら、一曲分録音もしてしまった。もちろん、箱にお礼のお金は入れた(5ユーロ)。
音楽を演奏する人に対しては、演奏が気にいらなければあげなくてよいが気に入ったなら、ある程度の額はあげるべきだそうだ(つまり、乞食に施しをするようなのは失礼だということ)

緩やかな坂、そして石段を登る。
珍しい物好きな領主コーネリアス・オブライエンが建てた塔が崖のふちに建っている。
この海は大西洋。ドゥーンエンガスに似た断崖絶壁だが、今日は風がないので、崖の端までいっても大丈夫だった。
海に垂直に200メートルも落ち込む崖が、岩石の違いがあるのか(頁岩と砂岩だそうだ)縞模様を見せながら、屏風のように延々と8km続いているという、眺めは見事だ。
アイルランドという国は高い山脈というものがない。そのせいか、ぐるりと一回転しても視野を遮るものがないという場所がよくある。空がとても広くかんじられるのだ。その広い空の下、弱い風に吹かれながら海を見ているのは本当に気持ちがいい。

坂を下りてくると若い人達は水切り

1時5分〜2時20分 リスドンバルナのレストラン、キンコラハウスで昼食。
 サラダ、サーモンフライ、アイスクリーム

リムリックとシャノン川

私たちが食事をした場所ははパブのようだったが終が奥は立派なレストラン、その先に綺麗に作られたお庭。
ここはどうやら、ホテルらしくて、レストランは夕食用なのか、人は入ってなかった。

バスの乗ってアデアに向かう。
エニスの町、シャノン川、リムリックを通った。
映画『アンジェラの灰』の一家はたしかこのリムリック出だった。

3時50分〜4時35分 アデア
この村は1967年に『可愛い村コンテスト』で優勝した村。
ホーリートリニティチャーチと通りを隔てたお向かいには白壁に藁葺き屋根の家が並んでいる。といってもお土産物屋さん、とそうでない家はfor sale の看板。住むには不便なのかもしれない。もとはちゃんと住んでいて、綺麗に花などかざっていたのが可愛らしくて評判になったのかもしれないが、今は全くの観光用、私自身はこういう町は好みではない。

アデアの教会のステンドグラス

5時55分 キラニーのホテル、ライアン到着。

私の泊まった部屋


このホテルは町の中心からかなり離れた幹線道路沿いにある。
敷地は広くて大きなホテルだが、平屋。
エレベーターを待つ必要はないが、部屋までずいぶん遠い。お部屋は広くてベッドは三つあった。

7時〜 夕食 チョイスメニュー
 私のチョイスは
 メロン、ベリー添え
 ターキーアンドベーコン
 パンケーキ(クレープ)ルバーブ生クリーム添え
 ワイン 4.5ユーロ