9日目

8月20日 

キラニー〜ブラーニー城〜ロック・オブ・カシェル〜ウオーターフォード 


    晴れ

7時 朝食
朝,ホテルの近くを歩く。昨日見かけた教会へ行ってみる。
とてもモダンな建築で取っ手のデザインも面白い。
山に囲まれてとても静かで空気もすがすがしくて気持ちが良い 。

ドアの取っ手が面白い

教会の横に咲いていた花

何となく新しいとプロテスタントかな、と思ってしまって、ホテルに戻ってフロントの女性に、あの教会はプロテスタントか?と聞くと、にこやかだった表情が、急にこわばって、アイルランドはカソリックです、と言われてしまった。すぐにこやかな表情に戻ったが。

8時30分 出発
東に向かい、マーローで南に下る。途中、川沿いのところを走る。川はブラックウオーター

9時50分から11時30分 ブラーニー城
1466年に領主コーマック・レイダー・マッカーシによって、要塞としてたてられたもの、もう天井など殆ど抜け落ちている。

橋を渡ってお城へ

ここにはブラーニーストーンとよばれる、キスをすると雄弁になる、といわれる石がある。
上の写真の塔の一番上で石との間は7,80センチほどあいていて危ない。
でもちゃんと助けてくれるおじさん(チップは必要)がいるので、添乗員さんにビデオ撮影をお願いして私もやってみた。
下中の写真の左に立っている人が写真屋。
住所を書いておくと写真と証明書をおくってくれるというので、7.5ユーロ払った。

城 観光客の入り口はこの裏

ブラーニーストーンに
キスをするための行列
(まん中の黒い服の人が介添え役)

送られてきた証明書

お城の裏は公園になっていて面白い形の岩には 色々名前がついている。今日はお天気が良くて木々の間を散歩するのは気持ちが良い。

願かけの階段

生贄の祭壇

11時30分 バスで、南の海辺の町キンセールに向かう。
途中、コークというリー川の中州に開けたアイルランド第二の大きな町をを通るのだがここは川の下を走る長いトンネルを通ったので、町はあまり見られなかった。

12時30分〜2時   キンセール
 港を見渡すことのできるトライデントホテルのレストランで昼食。
 ここはアイルランドを代表するグルメの町ということだが、その名に恥じない、美味しいお食事だった。
  アボガドとシュリンプカクテル、レタス、ムラサキ玉葱
  ムール貝のクリーム煮 クリーム味はいいのだが、少し塩辛かった
  舌平目のクリームソース
  デザート 苺ムース 、チョコケース入り  とても美味しかった

レストランの窓から見た港

あとから知ったのだが、ここは17世紀にルイ14世の後ろ盾を得たジェイムズ二世が、オレンジ公ウイリアムの軍と戦うべくフランスから上陸した場所だった。当時の要塞も残っている、とガイドブックには出ていた。
今はヨットの浮かぶ綺麗な湾なのに、アイルランドというのは本当に何度も何度も侵入されて気の毒な国だ。

2時15分 バスで北上して、これも見るのを楽しみにしていたロック・オブ・カシェルに向かう。
途中、ファーモイという町を通った。

あまり、知られていない小説だとは思うが、『フールズ・オブ・フォーチュン』 ウイリアム・トレヴァー著 (論創社) というのを10年ほど前に読んだことがある。
映画化もされたのだが、その舞台がこのファーモイの近く、キルネイ(この名の場所が実在するのかどうかは知らないが)なので、嬉しくなった。
小説の舞台は製粉所を経営し、果樹園も持つゆたかな屋敷。カバの木の林や畑のことが出てくる。どのあたりかと、窓の外に目をこらす。
 イエーツのイニシュフリーの詩を知ったのも実はこの小説にでてくるからなのだ。

ブラックウオーター川

ファーモイ

もともとカトリック国だったアイルランドはイギリスの宗教政策のために、プロテスタントが人口少数派であるが支配階級で、カトリックは人口は多いが被支配階級である。
カトリック教徒は土地所有、国政への参与など様々な面で規制されていて、それに対する抵抗運動がずっと最近まで続いてきたわけだが、支配階級の人々のうちにもアイルランドに対する愛着から、カトリックの抵抗運動を支援する人達はいた。
この小説は、イギリス人と結婚を繰り返している『アングロ・アイリッシュ』と呼ばれるプロテスタントの一家の物語。
マイケル・コリンズ(同名の映画もあった。コーク州出身の革命家でリーアム・ニースンがマイケル・コリンズを演じた)に資金援助をしたために屋敷を焼かれ、家族を殺された人の話で、一家の運命そのものがアイルランドの歴史を表しているともとれるストーリーだった。

4時10分〜5時15分 ロック・オブ・カシェル
 岩山の上に建つお城のような廃墟

ここはマンスター(アイルランドは四つの地方に分けられるのだがそのうち 南部をマンスター地方という)王の居城。 
1647年のクロムウエル軍来襲までマンスターにおけるキリスト教の中心地だった所。
田舎町のあいだを抜けて、バスを降りると ごつごつした岩山、その上に塔やら、三角屋根が見えてなんだか奇怪な感じがした。
 ここは聖パトリックが布教にきたそうで聖パトリックの十字架のある広場で話をきいた。(壊れていて十字架に見えない。前にいる赤い帽子の人は現地ガイド)

聖パトリックの十字架

円塔とカテドラル

顔の彫刻

ここにも円塔がある。高さ28メートル、 10〜12世紀ごろ建てられたもので、バイキングの襲撃のさい、隠れるため入り口は3メートルの高さのところで、ハシゴをかけて入ったそうだ。
 ただし、これが出来上がった頃はもうバイキングはやってこなかったらしい。天に向かって屹立する塔は何か象徴的意味もあるように思われる。
ガイドの話を聞きながらも、教会の壁に目がいく。壁の柱に顔。こういうのが見たかったのだ。

コーマックチャペルの入り口上部

次にコーマックのチャペル(1127年から1134年)に行く。アイルランドで建てられたロマネスク教会のもっとも早いものの一つ
まず、入り口のアーチが山形。
ノルマンチャーチによく見られる模様だ。
これを見ただけで、ロマネスク好きの私はワクワクしてしまう。
タンパン(入り口上部の半円の所)には半分削り取られたようなライオン? の彫刻。
入ると中は真っ暗。窓はない。
ビデオカメラというものは本当にスグレモノ。実物よりビデオの液晶画面の方がよく見える。他の方も画面をのぞきこんでいらっしゃる。
 凄い! 天井や壁、アーチにこれでもか、これでもか、というほど頭部が飾られている。
 ケルト民族は首狩り族で、頭部に霊的な力が宿る考えて飾りにしたそうで、貴族の館などに鹿の頭部を飾ってあるのも単に狩猟の成果を自慢するというだけでなく、頭部崇拝の名残もあるという。それにしても礼拝堂の壁にここまで、クビを並べるとは!

粒々は全て頭部

スイスやフランスの教会でも外部の軒の持ち送りのところなどに動物の頭の彫刻をみかけることがあるがここまでたくさんはない。アカンサスとか、ロータス(蓮の花)の彫刻で飾るかのようにのようにクビを並べてある。
オオカミとか鬼の面みたいにちょっと怖いものもあるが、人の顔は目が異様に大きいことを除けば概して穏やかである。
 床にはいかにもケルトらしい組みひも模様の石棺のフロントパネル一部が飾られている。(写真が一枚にはおさまらなかったので、二枚に分けたが、一つのもの)

買ってきた案内書によると、この墓はコーマック王自身のものとの説が有力だが王の弟またはその後継者のものかもしれないとある。この図柄については1100年頃アイルランドにはいってきたスカンジナビアのウルネススタイルを真似たものとあるので、 ウルネスには行っていないが、ノルウエーのスターブ式教会を見たとき買ってきた写真集から、ウルネスの彫刻をコピー。なるほど似ている。アイルランドの図案のルーツは北欧だったのか?しかし、このウルネスの教会が出来たのは、1130年から1150年。おまけにアングロ・ノルマンスタイルとある。
 私はダロウの書という680年頃できた写本の頁を思う出すのだが。

ウルネスのスターブ式教会

ダロウの書

私はこういうものを見るのが好きなので、すぐ皆におくれてしまう。
次に行ったのは、カテドラル
ゴシック建築(1230から1290年)
十字形で、側廊はない。

暑い壁の間は通り抜けが
できるようになっている

上の窓を拡大したのが右

クォーターフォイル・スタイル
の窓

ライ病患者はこの覗き窓から、
ミサにあづかる

太陽と月と星の漆喰飾り

こちらの方がコーマックチャペルより後に建てられたのだが、天井は抜け落ちている。
ガランとした身廊。昔は豪奢に飾られていたであろう名残はない。ここもまた『つわものどもの夢の跡』である。

ここにも壁の高い位置には人頭が飾られているがコーマックほどの凄さではない。 
 

カテドラルの人頭彫刻はコーマックチャペルと少し違う
(下の写真)祭壇彫刻が翼廊にいくつか置かれていた。

 ガイドさんに製作年代を聞くと、全て13世紀といっていたが、下の段の左については買ってきた写真集に16世紀とあった。他は13世紀っぽく見えるが。

左はアイルランドの3守護聖人の一人
 聖女ブりギット

ここの売店で絵葉書や案内書を買うとき、キャッシャーが故障、とても時間がかかってイライラした。
もう一度見たいし、買いたいし、ともかく時間がたりない。少なくともあと30分はほしかった。

ロックオブカシェルの墓地

ガソリンスタンドから見る

バスに乗って、ちょうどロック・オブ・カシェルがよく見えるところのガソリンスタンドで5分ばかり写真ストップ。

6時55分  ウオーターフォードのタワーホテル着。
川べりでその名のとおりタワーの前にあるホテル。ただし残念ながら、私の部屋からは川は見えない。そこで、荷物が届けられるとすぐ外にでて周りを散歩。

タワーホテル

レジナルドタワー

シェア川

タワーの向こう側の横丁

ホテルの前にあるのがレジナルド・タワー 12世紀にノルマン人によって立てられたもの。
通りの建物の一階はペンキでカラフルに塗られたショップ。
横道に入るとレストランなどがあって、なかなかいい町だと思った。
 ホテルで夕食