11日目

8月22日  

ダブリン市内観光 アスローン


    曇り一時雨
朝食前にホテルの前を散歩する。このあたりな高級住宅地のようだ。

ホテルの前の建物(アパート?)

バークレーコートホテルの入り口

7時  朝食 ビュッフェ このホテルではイギリスのようなフル・ブレックファーストが注文できる。
 卵料理も好みのものを頼める。
 折角のチャンスなので注文したが、ベーコン、目玉焼き、焼きトマト、ソーセージ、、、分量が多すぎてとても食べきれるものではなかった。

9時 バスで車窓から市内観光

9時15分〜9時50分 聖パトリック大聖堂
 5世紀に木造で建てられたが、1191年に現在の石造に立て替えたアイルランド最大の教会。
今世紀始め、この教会の裏で、井戸にかぶせる石版が見つかったのだが、その井戸が聖パトリックが改宗者に洗礼を施した泉だと言われている。聖パトリックを描いたステンドグラスや石像。それから、和解のドア(誰と誰の和解かは忘れた。握手のための穴があいているが、もしかしたら、手を切られてしまうかもしれないので、勇気がいったそうだ)を見た。

井戸にかぶせる石版

蛇退治をする聖パトリックを
描いたステンドグラス

貴族の家紋の旗

和解のドア(この穴から手を差し出して握手)

18世紀に、『ガリヴァー旅行記』で有名なスゥイフトがここの主席司祭であったことから、彼とその愛人ステラのお墓もここのある。

スゥイフトの墓

ステラの墓

スゥイフト像

詩人カロラン像

10時〜11時35分 ダブリン城
 1204年に建てられたが1684年に火事で崩壊。古い建物は塔の地下が一部残っている。
ダブリンというのは「黒い水たまり」という意味だそうで、この城はリフィー川とその支流の交差点という戦略敵な地にあるのだが、その川というか、水溜りを地下におりて見た。 お城の内部では 負傷した革命家のコノリーが運び込まれた部屋とか、絵がかざられているロングルームなどを見た。

11時50分〜12時25分 トリニティーカレッジ
 のオールドライブラリー
ここは有名な『ケルズの書』 と呼ばれる写本が展示されている。
展示室は保護のため極端に明かりをおとしていて、殆ど真っ暗。
ガラスケースに人が犇いていて、なかなかそばに近寄れないほどだ。やっとケースのところにこられたら、もう離れたくなくて、押し流されないようしっかり足を踏ん張って場所を確保して覗き込む。
一つは絵で飾られた頭文字と文字のぺージ隣は一ページ絵。でも地味な絵なのでちょっとがっかり。(勿論写真は撮れないので、見たのとは違うが一枚パンフレットから)

IとNを表している

でも一生懸命見ているうちにツアーの人達がいなくなったので、残念ながら、そこを離れる。
ショップで、本を買おうとしたが、CD-ROMの『ケルズの書』というのをみつかったので、それを買うこととした。軽くてよい。
帰ってきて、パソコンでみてみたら、全頁の写真(多すぎてまだ全部は見ていない)が出ているし、修道院の説明などもはいっていて、とても良かった。
 ここで昼食。前夜から迷っていたが、矢張り一人でアスローンに行くことにして、昼食をキャンセル。
ツアーの人たちと別れて 徒歩で、近くの国立博物館に向かう。

アイルランド美術で、大事なものは、写本、ケルト十字、金工細工、といわれているが、その金工細工の最高傑作である、『タラのブローチ』(8世紀頃)がここにある。
まっすぐ、ブローチのところへいき、ビデオを撮っていると、ビデオはダメ、といわれて、バッグにしまう。

タラのブローチ(表)

の上部の拡大

『アダーの聖杯』(7,8世紀)『コングの十字架』(宝石が落ちたり、剥がれたりしている)
『聖パトリックの鐘』などの金工細工を見る。
 それから、一昨日行ったロックオブ・カシェルの入り口のノルマン様式のアーチやドラムクリフのハイクロスの現物などを見た。まだまだ見たいものはあったが、アスローンに行けなくなるのでほどほどにしておいて、近くのシェルボーンホテルでタクシーをよんでもらってクライストチャーチへ。

クリプトで見た像。ストロングボウ?、

ここの地下には、『ストロングボウ』のお墓がある。
あとで、ガイドブックには入り口右手と書いてある。私が地下でみたのとは違うのだろうか。入り口では気がつかなかった。
12世紀のアイルランドでは、まとまった王国はなく、ケルトの王の間で抗争が激しかったのだが、レンスター王がウエールズ(イギリス)南部の領主ストロングボウ=強弓に助けを求めた。これがノルマン貴族によるアイルランド侵入のきっかけとなって、ヘンリー二世によるアイルランドに対する宗主権の確立、ということになったのだ。

南袖廊はロマネスク。一人で来ると説明がないので、よく分からないところが多いのだが、ひっそりとした教会に一人で入るのはいいものだ。

その後リフィー川のところに出て、思いついて、『ザ・デッド』の老姉妹の住まいのあることになっているアッシャーズ・キーまで歩いて行った。しかし寂れたところでそれらしい家はなかった。
橋を渡っているうちに雨がふってきたが、折りよくタクシーが通りかかったので、拾ってバスステーションへ。回り道をして、<イースター蜂起>の場所である、中央郵便局と映画『マイケル・コリンズ』に出てくる、グレシャムホテルの前を通ってもらう。

2時40分 コノリー駅近くのエーランバス中央ステーション。
切符(リターンチケット、12ユーロ)それに昼食がまだなので、サンドイッチとお水を買う。
3時発のバスに乗る。
これが失敗。電車より楽しいかと考えたのだが、座れたが若者で一杯。
バスは列車より安いので
それなりの人が乗る、(こういう言い方はいけないとは思うが)
そうして、田舎町に丁寧に停まりながらいくのだ。
アスローンには一時間半くらいで着くと思っていたのだが、ついたのは5時20分

駅前でタクシーを拾う。クロンファートとクロンマクノイズに行きたいことを伝えると60ユーロで行くという。
この運転手さん人はいいのだが、道を知らない。クロンファートには以前に行ったことがあるが忘れたとかで 道を聞き聞き、一時間くらいかかって、やっとついたら、何と修復中。
ネットの間からファッサードを覗く。ネットは邪魔だが一応は見ることが出来た。

案内板、入り口の上部はこう見える筈だった
上の方は三角形と人頭が交互におかれている

ネットの隙間からなので、こうしか撮れなかった

撮れた範囲での細部の写真

クロンマクノイズについたのは7時10分頃。ここは7時までなので中に入れない。残念。
運転手は一服しながら「ユー・アー・ピティ」。 道をまちがえなければ間に合ったかもしれないのに。

クロンマクノイズ

シャノン川

おまけに思ったより遠かったから100ユーロにして、と言う。乗った時間からすればその程度はするかな、と払うことにして、8時10分前アスローン駅に戻った。
駅で、時刻表を見ると、8時1分発の列車があるので、バスの切符は捨てることにして列車(12.5ユーロ)に乗る。
列車は遅れて8時15分発
車内は座席が向かい合っていて間にテーブルがある。近くに巡礼にきたらしい老婦人グループが沢山乗ってきて、少し若い人が年取った人の面倒をみて、絵葉書を書かせてあげたり、ランチボックスを開いてあげたりしている。特に話をしたわけではないが、和やかないい雰囲気だった。
 私も夕食を食べそこなったので、捨てようとしてそのままバッグにいれておいた サンドイッチの残りをたべてしまった。
バスは速いかと思ったのだけれどやはり行きも列車にすればよかったと後悔しきり。むなしい思いで、暮れ初めた景色を眺める。

ダブリンという町は日本と違って夜は暗い。タクシー乗り場も暗くて、一人で乗るのはなんとなく心配だったが、乗らないことには帰れない。
ホテルについて、添乗員さんが心配するといけないので、無事戻ったむね、メモ用紙に書いて、ドアの下から入れておいた。ツアーの中で希望者は添乗員さんとアイリッシュダンスを見ながらお食事、ということになっていて、私も早く戻れたらそこへ行くことにしていたのだが、もう間に合わない。翌日聞いてみたら、キラニーのダンスの方がずっと素晴らしかったそうだ。