3月30日

8日目

エルフード滞在 (メルズーガ砂丘へ)


3時30分過ぎに起きる 
4時30分、3台のランドローバーに分乗して砂漠へと出発。
乗るときは真っ暗で空に星が瞬いていたが、徐々に空が白んでくる。道は途中から未舗装の石ころ道に変わるが、心配したほどの悪路ではなかった。

5時20分 砂丘の入り口に到着。

らくだに乗って

まったくの砂地なので、車ではもう行けない。
ここからは徒歩だが希望者はらくだに乗ることができる。
希望者は前日のうちに300DH 払っておく。
私も一度らくだには乗ってみたかったので、申し込んでおいた。
乗るときは、らくだがしゃがんでいるのに乗るのだが、あの長い脚で立ち上がるので、しっかりつかまっていないと、落っこちそうになる。
乗ると、らくだ引きは心得たもので、『フォト』と言って、カメラを指差す。皆撮ってもらうからだろう。
歩きはじめてもらくだの歩みとともに、揺れるのでしっかりつかまっている必要がある。
寒いので、ダウンを着て、毛糸の手袋をはめていたが、毛糸は滑りやすい。
滑り止めのついたものをもってくれば良かったと思った。
 
しばらくすると、体を固くしないで、らくだの動きにあわせて自然に揺られていれば 大丈夫だ、ということがわかってきた。だんだん夜が明けてくる。本当に大砂漠!!ぞくぞくするほど嬉しかった

砂丘の麓に到着。ここでらくだをおりて、今度は徒歩で急斜面を登る。
らくだ引きに手を持ってもらって引きずられるようにして登る。彼の歩き方が早いので息が切れる。時々立ちどまってもらいながら、やっとの思いで登った。
らくだ引きはらくだの背にかかっていた毛布を抱えてきていて、それを敷いて座らせてくれる。

少しずつ日の出の時間が近づいてくる

どこまでも連なる砂丘に大満足、大感激

朝食前の出発だったので、添乗員さんがお菓子を配ってくださっていたのだが、それを目ざとくみつけてらくだ引きが「キャンディー」とせがむ。
あげると、早速ムシャムシャ。今度は「アルバイト」、といってバッグの中からなにやらおみやげものを広げ始める。うっかり値段など聞こうものなら、しつこく売りつけられるのではないかと思い、ノーマネー、とはっきり言うと、さっさとしまった。そうしてさきほどのお菓子が入っていた袋に砂を詰め始める。それからライターをとりだすと、火をつけて、熱でポリを溶かして封をして渡してくれた。(うまいものだと感心。ふつうなら輪ゴムが、、、なんて探すところだが)
砂漠の記念に砂を拾うつもりだったが、自分で拾う必要がなくなった。
そうこうしているうちに、6時15分ごろ、日が昇り始めた。

いよいよ、日の出、砂漠が赤みをおびてきた

砂漠のご来光

素晴らしい眺め。本当にはるばる来たものだと思う。

昔『赤い砂漠』というモニカ・ビッティ主演の映画を見たことがあったが、もうどんな映画だったかおぼえてもいない。おぼえているのはタイトルだけ。文字通りの赤い砂漠が広がっている。

ベルベル人のらくだ引き

 

朝夕は日が斜めから射すので、砂丘の稜線がくっきり見えてとりわけ美しい

今度は砂山を降りるのだが、もってきた毛布をそりのようにして、ひっぱておろしてくれる。
私は、前に転がったら、と思うとこわくてだめで断ったが、すべっている方を見ると気持ちがよさそうだった。

私が乗ったらくだ一仕事終えた〜


歩いて降りるのもすべって大変(勿論手はひいてくれる)だった。
砂が大量に靴の中にはいったが、砂の粒子がとても細かいので足の裏が痛くなるようなことはなかった。
またらくだに乗って、戻る。

6時50分 ランドローバーで、
ベルベル人のテントに行く。
ここでミントティーをごちそうになる。
コップが清潔なのかどうか気になったが、熱いから大丈夫と決めて飲んだ。

ベルベル人のテント、 ナツメヤシで作った小屋

山羊 このランドローバーに乗った、
黒いのがベルベルテント、右端にはナツメヤシの小屋も

山羊が沢山いた。チーズをつくるのだ。またランドローバーで、今度は化石探し。

オウムガイの化石


3億8千万年前はこのあたりは海底だった。
そのため、三葉虫、アンモナイト、オウムガイなどの化石が取れる。
石になにか貝殻のような縞模様がついたものは多いがこれといった化石はみつからなかったので、そばの売店で、アンモナイトの化石や、砂漠のバラなどを買った。
オウムガイの化石を見つけられた方がいらした。

 

 


ここで化石探し。
何もない、こういうところで送る一生もあるのだな、と感慨にふけってしまうような光景だった

8時30分、ホテルにもどり、朝食

ホテルのお部屋はコテージ式

その後 それぞれ部屋に戻り、暫く休憩。
めがねにしていたのでコンタクトレンズに変えたり、歯磨きをしたりする。
(砂漠は風もなかったので、コンタクトレンズでも大丈夫だった)

こういう時間があるのがありがたい。
私も年をとったものだ。

10時 今度はバスで観光 
10時17分、シジルマッサの廃墟で写真ストップ。
シジルマッサは北アフリカの最初のイスラーム都市で、サハラ越えのキャラバンルートに位置していたために栄え、11世紀には人口10万人だったそうだ。
金、奴隷、塩の集散地。しかし15世紀には滅んだ。
本来の砂漠にもどったかのような眺めであった。

リサニにという町の門(20世紀に造られた)で写真ストップ。

リサニの門 門を抜けても廃墟が続く

リサニは17世紀にムーレイ・イスマエルが息子たちを権力から遠ざけるために造ったもの。
(ムーレイは宗教的指導者、聖人などにつけられる)
現在にも続くアラウイー朝の首都はこのリサニだったが、後にメクネスに移された。

ここには15世紀以降のクサル(日干し煉瓦でできた集合住宅)が沢山ある。
ウラード・エル・ハリムのカスバ、(現在はクサル)を見る。

クリックすると別写真

子供たちは走りよってきてキャンディーをせがむ

19世紀末に造られた宮殿。彫刻 中は迷路の様。
門を入るとまた次の門がある。下左のようにうっすらストゥッコが残っていた。宮殿はかなり崩れてはいたが、壁の細かなストゥッコが繊細優雅。

ストゥッコやモザイク装飾が往時の華やかさを宮殿をしのばせる

 

壁の穴は足場。 迷子になりそう

王宮の中庭

 

現在も一族が住んでいるので山羊もいる

 

往時の華やかさを偲ばせるストゥッコ

プライベートな部分に建物の壁に囲まれた中庭がある。井戸があり、壁で陽射しが遮られことから、45度と言う酷暑でも四季折々の植物が育つ。

ここにはその一族がまだ住んでおられ、ミント・ティーを頂いた。天井の彩色が鮮やかだと思ったらこれは修復されたからだそうだ。
(このカスバは現在はクサルで15家族住んでいるそうだ)

天井が素晴らしい

今日から学校が休みで子供たちがそばによってきてはキャンディーをねだる。顔はアラブではなくブラック・アフリカ。 子供たちさえも写真をいやがる。(キャンデーをもらったからといって、写真を撮らせるわけではない)
8日目、この後は次のページに