エルフード滞在

その


バスでムーレイ・アリ・シェリフ霊廟のあるモスクに行く。ムーレイ・アリ・シェリフは現在に続くアラウイー朝の始祖ムーレイ・エッラシードの父親である。
今日は金曜日で集団礼拝の日。丁度二回目の礼拝の時間で中庭だけを見た。噴水が涼しげだった。

回廊が取り囲んでいる。ここは新しいものだが、こういう回廊に囲まれた中庭を見ていると、キリスト教の修道院の回廊を思い浮かべてしまう。
起源はイスラームだ。
次に今度は宮殿ではないクサルへ、中に井戸があった。ここの人達は特に写真を撮られるのをいやがる。

写真がはっきりしないが 井戸

クサルに住む兄妹

それから、リサニの町の、スークへ、礼拝の時間なので、侘しい光景である。メインストリートでは丁度お昼時とあってか、パン屋さんがたくさん出ている。

スークにはひと気がない メインストリートのパン屋

この丸パン1個が2 デイルハム(約30円)だそうだ。添乗員さんが買って少しずつわけてくださったが焼きたてで美味しかった。

リサニのメインストリート


12時50分 ホテルに戻り昼食
 モロカンサラダ(煮たピーマン、トマト、ゆで卵などが入っている)、タジン
 フルーツ、ビール(40DH)

モロカン・サラダ タジン

休憩 もっと若ければ時間を持てあますかもしれないが、顔を洗いなおしたりしてゆっくりくつろげるのがありがたいと思う年齢になったようだ。
ヨーロッパからの観光客はプールサイドで日光浴。 
私は本を読んで過ごす。『ハゲタカ』を読みあげてしまった。
16時15分 ランドローバーで出発

17時 メルズーガ砂丘写真ストップ

砂丘の高いところは250m、手前は礫砂漠だ。ランドローバーで砂丘の入口まで行く

 

17時5分砂丘入り口
今回はらくだに乗らず歩くことにした。
砂丘は人の通った跡が歩きやすいかと思ったが、誰も歩いていないところのほうが足がめりこまず楽だった。

風紋が綺麗で踏むのがためらわれた


最後の砂丘に登るところでバテそうになった。手前で行くのをやめた方もいらしたようだが、何とかがんばって丘に登り、おしゃべりをしながら、日没を待った。

朝とおなじ場所だそうだが、朝は暗くて周囲がよく見えないままらくだに揺られたこと、それに光のさす方向が違うせいか、まったく違う場所のように思えた。
見る方向は東でなく西(当然だが)
18時30分頃日没  日の出より幻想的に思われた。 

 

暗くなると足元が心配だ、と思ったがまだ空は青くて、あたりが見えないということはない。
でも坂で砂に足をとられてしまった。そのままズルズルと落ちないよう慌てて手をついたところに、さしのべられる手があった。思わずつかんだ。砂漠名物 『お助けマン』、手を引いてもらえばチップを要求されるということは分かっていたが、楽はしたいので、腕をくんでもらって歩いた。
青いターバンをまいているので、トゥアレグか?と聞くとベルベルだ、と答えた
(砂漠の民、トゥアレグ族は青いターバンを巻いているので別名ブルーマンとも呼ばれる)
この人、もしかしたらモグリなのか、集合場所の少し手前で、「あなたのグループはあそこだ。ここでチップ」と言う。 どんどん暗くなってきて足元があやしくなりはじめたので、皆のいる所まで連れて行って、と英語で、(彼も少し英語が話せる)頼んだが、ここまでだ、という。そこで20DH渡して、一人で降りていった。
ふりかえると、空に白い月がかかっていた。

風はそよとも吹かず、ましてや心配した砂嵐も全くなかった。
今度も砂が入るといけないので、コンタクトレンズをはずして眼鏡にしたが、その必要はなかったようだ。
朝、夕、二度砂丘が見られて、大満足。
20時 ホテル帰着
夕食ビュッフェ
一緒にワインを飲んだMさんと残って少しおしゃべりをして、21時15分頃部屋に戻った。
22時30分入浴 
24時ごろやすむ。