4月1日

10日目 

ワルザザード~カスバめぐり~マラケシュ

(タウリルト、ティフルトゥトゥのカスバ)


昨日 バスタブのお湯が抜けなかったので、水が抜ける位置にハンドルをしたまま寝てしまった。朝になっても全く抜けていない。満々と湯をたたえたままであった。
私は洗濯ものを干すのに、クリーニング屋のハンガーを何本か持っていき、(最後のホテルにおいていく)それに干して、浴室のカーテンレールにかけることにしている。お湯をはったままでは乾かないのではないかと思ったが、見事に乾いていた。
よほど換気がいいか、空気が乾燥しているにちがいない。

泊まったホテル


朝食後、少しホテルの前を散歩。ここは少し町中をはずれたホテル街。
実は昨日大事な旅ノートがみつからなかった。バスの中に置き忘れたのではないか、とホテルの入り口で別のところに止めてあるバスを待った。ノートはやはり、滑り落ちていて、バスの座席と窓との間に落ちていた。やれやれ、これがないと、このホームページも書けないところだった。

8時30分、ホテル出発 

5分ほどで、タウリルトのカスバ
ここは映画『シェルタリングスカイ』でも使われたところ。

カスバ全容

もとはベルベル人のグラウイ家のもの。グラウイは20世紀初頭のマラケシュの司令官で、フランス軍に重用された人物。
そのためモロッコが独立したあとで、破壊された。
内部は装飾がすばらしい。

アトラス杉でできた天井は少しにじんだように見えるがこれはオリジナル(修復はしていない

 

椰子の天井 レース編みのようなストゥッコ装飾

 

アトラス杉で作られた天井部分はオリジナル

 

塔の上から周囲を見張っていた

 

格子も美しい。オリジナルはベルベルの装飾

テラスから見た前庭

 

この窓格子はちょっとユニーク、いかにもハンドメイドという感じがする

テラスから前庭を見る。(ここは映画シェルタリングスカイに出てきた)
ここの庭で踊りをおどったりするのをグラウイーたちはこのテラスから見物した。

バスでティフルトゥトゥのカスバに向かう。
このあたりの家は強い陽射しを避けるためか一階部分がアーケードになっている。
(写真は集合住宅だが、二階建ての一軒家の一階部分もこのようになっていた)
途中でロバを引いているお婆さんに会った。おおあわてでロバを道の端によせる。

一階部分がアーケードになている

 

 

ワルザザードの門

ワルザザード川の対岸で写真ストップ。ティフルトゥトゥのカスバ

9時30分 ティフルトゥトゥのカスバの観光。
ここの窓の格子もいい。こういう透かしの窓をマシュラビーヤという。女性たちはこの窓を通して外を見る。別名 『嫉妬の窓』 ともいう。
屋上から川を眺める。コウノトリがいた。遠くに雪をかぶったオート・アトラスがかすかに見える。

拡大写真は別バージョン

階段状のベルベルスタイルの飾りの上にコウノトリ

マシュラビーヤの窓

カスバの子供

はっきりしないが、墓石として
尖った石が突き立ててある

屋上から見ると左下にはベルベル人のお墓。(下の方に尖って立ててあるもの)

お墓といっても、墓碑などはなく、地面に尖った薄い板石をつきさしただけのかんたんなもの。

土に還るのだ。
大げさな墓石は必要ないのだろう。
(お墓は無料だ、とガイド氏は言っていた)

 

広間で ミントティーをごちそうになる。太鼓があった。 
写真左奥の女性がお茶を淹れてくださった。

バスで移動。
途中、新しくできた映画の撮影所の前を通った。 ワルザザードはモロッコのハリウッドと呼ばれているほどで、映画の撮影所が五つもある。

典型的な砂漠の景色として、砂漠シーンはよくモロッコで撮影される。アラビアのロレンスもヨルダンだけでなくモロッコで撮影された部分もある。
『キングダム・オブ・ヘブン』という映画をみていて、砂漠シーンにあのあたりとしては砂がありすぎではないか、という気がしたが、ここで撮ったからだと、納得がいった。
エジプトではさらさらした砂の広がりをみたがシリア、ヨルダン、イラン、トルコなど、私の行ったところでは、どこも砂漠地帯といっても土漠、レキ砂漠で馬の脚がめりこみ砂埃を巻き上げるところはワディ・ラム以外はなかった。

ワルザザードで撮られた映画 
1960~61年 アラビアのローレンス
1985年 ナイルの宝石
1996年 インディ・ジョーンズ
1999年 グラデュエーター
2004年 キングダム・オブ・ヘブン
2006年 バベル
そのほか ソドムとゴモラ、シェラザード、ナザレのイエス、アブラハムの生涯、サムソンとデリラなど
『モロッコ流謫』には『アポロンの地獄』もタウリルトのカスバが使われた、と書かれていた。

ジャパンの看板

私が本当の砂漠を見たいと思ってモロッコに来たように、映画の観客も砂漠というと、砂丘があり風紋ができるような砂の海を求める。それに応じてここに撮影所がつくられているのだろう。

途中のオアシスで、独立以前ユダヤ人が多く住んでいた、というところもあった。
ところどころ地面が白いのは塩で、ユダヤ人は塩を商うので、ここに住んだそうだ。

このあたりは、日本からJICAの人達が来て開発に協力している。

途中の岩山が、赤いところと緑のところがある。赤は鉄、緑はマンガンを含んでいるためだそうだ。

10時20分  アイト・ベン・ハッドゥのみえる丘で写真ストップ。
川はワード・マーハ。マーハとは塩の意味。

このビューポイントにもしっかり物売りがいる。
骨董屋みたいでおもしろいものがあり、買いたかったが即決できず、何も買わなかった。

拡大すると左上にアイトベン・ハッドゥが
かすかに見える

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