2日目-1

6月5日

アルル滞在 (カヴァイヨンへ)


ツアーの今日の予定はアルル市内観光である。
しかし、私は99年に来た時にガイド付きで、一通り市内観光はしているので、一人でよその町に出かけることにする。
もちろん前もって準備はしてある。
先ごろカルチャーセンターで、『ヨーロッパユダヤの歴史』という講座をとったとき、ユダヤの居住地のあるアヴィニョン近くのカヴァイヨンという町のことを聞いた。

フランスでは 1309年 国王フィリップ四世が大規模なユダヤ追放令をだした。その後追放令は撤回されたり、また追放されたりして、1395年には最終的にフランス、さらに1494年以降、当時フランス王の管轄下になかったプロヴァンスからもユダヤ教徒は追放された。
そのため当時教皇庁のあった、アヴィニョンと、カヴァイヨンのある(教皇領であった)コンタヴネサン(ウナスク伯領、現在のヴォークリュ−ズ県))地域にユダヤ教徒はやって来た。[ それ以前(1世紀のマサダ陥落後に)ユダヤ教徒は農民、商人、医者としてこの(当時の)ゴールに来住してはいた] 

ユダヤ教徒が教皇領に
理由は 「神の子を殺したユダヤ教徒は、神によりその罰を受け貧しく虐げられた地位に貶められたのだ」とのアウグスティヌスの教えがあるからだそうだ。そこで、キリスト教の教えの正しさを証明するために、carriero(カリエッロ、街路)と呼ばれる狭い地域に住まわせ、貧しい地位に貶めておくことにしたのだそうだ。勿論金貸し業者が必要という経済上の理由もあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

カヴァイヨンにはカリエッロとシナゴーグがあるほか、大聖堂の回廊はロマネスクであること、またこの町はローマ時代に遡る古い町で、少し遺跡も残っていることなどの理由で一人ででかけてみることにしたのだ。

アルルから、列車でアヴィニョンへ、そこから、バスまたは列車で、カヴァイヨンに行くことができる。

列車の時間はフランス政府観光局のホームページからだと、日本語で調べられるが、幹線以外はだめなようで、ローカル線は
フランス国鉄(SNCF)のホームページ SNCF.COM  で調べる。

朝早く出ればお昼すぎにはアルルに戻ってこられそうである。
添乗員さんに話して、昼食のレストランを教えていただいて、間にあえばそこで合流。間にあわなければ、私のことはかまわず観光を続けていただくよう、打ち合わせをしておいた。

ホテルの朝食レストランで食事をとると、7時53分発の列車に間に合わないので、持ってきた 春雨スープ で朝食とした。(おかゆは重いのでやめにした。今回は旅行用湯沸かし器も持ってきた)

フロントで、添乗員さんにタクシーを頼んでいただいたが、なかなか来ない。
なんと今日はタクシーの運転手がストライキだそうだ。(ガソリン代値上げに絡んでとのこと)
仕方なく7時40分ごろ 徒歩で、駅に向かうこととした。
このホテルは観光スポットに近くてとてもロケーションとしては良いのだが、駅まで徒歩だと20分はかかる。
勿論最初予定した列車には間に合わないので、次の8時44分発に乗ることとする。
時間は充分あるので、ゆっくり写真を撮りながら、駅方向に大回りをして向かう。朝はかなり空気が冷たい。気温18度。それでいて、日差しはとても強い。日本ではちょっとない、乾燥したヨーロッパならではの天候。
今日の服装は、ジーンズに半そでTシャツ、長袖木綿のフード付きジャケットだが、寒いので、スカーフを肩に広げるようにして、コートを着てからしっかりボタンもかけたが、まだ心配で、もう一枚取りに戻ろうかとも考えたが、昼には暑くなるかもしれないと、このままの格好にする。

 まずは ローヌ川べりへ。

ローヌ川は、もう河口に近いせいか、ゆったりと流れる幅広い川である。
そこから、城壁へ。カヴァルリ門がある。

城壁 カヴァルリ門

門を抜けると駅はもうすぐだが、まだ早いので、逆戻りして、泉(Fontaine Amedee Pichot) のところで写真を撮る。

         (クリックで拡大できます)

それから駅へ。
切符はアヴィニョン往復で、9.6ユーロ(約1600円)

アルル駅 これから乗る列車

8:44〜9.02 列車 

車内 アヴィニョン駅前 右手が城壁で中に法王庁がある

アヴィニョンでバス乗り場を探す。駅を背にして右なのだが、それらしきものがない。 
分からないので、市内バスのバス停で、「カヴァイヨンに行くのはここですか?」と聞くと、違うといって教えられたところは半地下のとても広くて暗い場所、(私は横浜の住人で、そごうのバス停を時々利用するが、あれよりずっと広くて暗い、女一人ではちょっと心配になるような所) はるかかなた (というほどでもないが) に案内所らしきものが見えるので行ってみると、なんとここから出るのはスペイン行き!(ここからはスペインもさほど遠くはないのだ) そこで聞いて、やっとカヴァイヨン行きの案内所が分かった。
係りの人に、「9時半発があるはずだが」と聞くと、「それは日曜だけで、次は10時発。切符はバスのなかで買える」そうで、乗り場を教えてもらったが、まだバスは来ていない。

アヴィニョンの駅は城壁のすぐ外でレピュブリック門の前。10時まで間があるが。かといって中心部に行くほどの時間もないので、なんとなくブラブラして時間をつぶす。バスの時刻表は
Bus 11 Schedule travel Visit, - by Provence Beyond

定刻5分くらい前にバスが来て乗り込み、「カヴァイヨン」 と運転手に言っておく。(こういうときフルセンテンスできちんと言えなくても、目的地だけ言えばわかってもらえる)
10:00〜10:40バス 片道 3.8ユーロ(約650円)
カヴァイヨンの案内   Cavaillon
カヴァイヨンらしきところに着いたとき、運転手はこちらを見てそうだ、と言う様子を見せたのであわてて降りた。
バス停から 中心地と思われる方向に歩き出す。小さな町、

町の中心に面白いモニュメント

町はバス停から10分も歩くと岩壁にぶつかる

シナゴーグに行くつもりで、通りがかりの人高校生らしい二人連れに道を聞く。
二人で、「貴女が言え」みたいに体を押し合って、日本の高校生と同じ。考えてみると彼女たちはフランス人。英語は外国語なのだ。「右へ行って左に行って、そのあたりで、聞いて」。
そこで、少し歩いてからまた別の高校生くらいの人に聞くと、彼女は何か言いかけたが、「一緒に行こう」、と言って、5分くらい歩いて、そばまで連れて行ってくださった。アルルの町同様、ここも昔はローマの町だというのに、道が曲がりくねっていて、ちょっと説明しにくいところなのだ。
ともかくシナゴーグに着けた。どうやら二階が入り口らしい。
階段をあがっていると、スケッチをしていた女子大生らしい人が何か下で叫んでいる。「私はシナゴーグが見たい」、というと、管理人の女性を呼んできてくださった。その管理人の鍵の大きなこと!(通常はガイドブックにかかれている時間帯はあいている筈。下の博物館にまず行くべきだったのかもしれない。閉まっているようなら、下の壁にかかれている電話番号にかけて頼めばいいと思う)
このシナゴーグは1772年に建てられた。カヴァイヨンにはユダヤ教徒は200人程度しかいなかったとかで、このシナゴーグはさほど大きくはない。

下の写真も後ろにさがっても全体はとれなかったので、絵葉書を借用(写真をクリック)
私は シナゴーグの内部はプラハとカイロで見たことがあるだけ。シナゴーグもキリスト教の教会と同じで、建築様式はその時代の様式で建てるらしくて、ここのは、ルイ15世様式というらしい。白地に金と青で華やかな雰囲気でロココ風だ。何となく、迫害されたユダヤ人、というイメージから暗い感じの場所を予想していたので思いがけない明るさに驚いた。
説明書によると、ユダヤ教徒はクラフトマンであることが許されなかったが、コミュニティーが最上のカソリックのクラフトマンを雇って作らせた、とあった。(これだけのものを作らせる財力もあったのだ)
教会にはないトーラー(旧約のモーゼ五書)を収める扉付き棚がある。バルコニーの錬鉄製の手すりも優雅だ。

ラビの説教壇(クリックすると絵葉書による全体像)

この地域独特のものとして、壁のコーナー上部に『預言者エリヤの肘掛け椅子』がある。エリアがどの割礼式にも立ちあっていることの象徴だという。(エリアはモーゼに次ぐ重要なユダヤ教の預言者)

トーラー入れ エリアの椅子

絵葉書やパンフレットを買って、下におりる。
階下はコンタ・ヴネッサン・ユダヤ博物館。博物館というが展示品は少ない。パン焼き場。女性のいる場所など。墓標などもあった。

燃えかけたトーラー

石碑 絵葉書、手前がユダヤ居住区,奥がシナゴーグ

今来た小路から、シナゴーグまでの80メートルの道(上の絵葉書、カリエッロ)の両側にユダヤ教徒の家があり、この限られたスペースに200人も住んでいた。
来たのと反対側にアーチ状の入り口がある。往時はここに扉があって、夜には鍵がかけられたのだろう。
ちゃんと写真を撮りたかったのに、トラックが邪魔。

カリエッロの入り口(上の絵葉書の通りを抜けたところ) 入り口を横から見たところ

フランス革命により、ユダヤ教徒は自由になったので、どこにでも住めるようになり、もはやユダヤ・コミュニティーは存在せず、ここも歴史的建造物となっている。

次に、(シナゴーグで聞くのは変だとは思ったが)キリスト教の教会の場所を聞いた。

ここから数分のところにある 旧ノートルダム・エ・サン・ヴェラン大聖堂
もとはロマネスク様式だが、増築されていて、ゴシックの部分が多いが後陣はロマネスク。

サン・ヴェラン大聖堂の身廊

聖堂の後陣 回廊

回廊もロマネスク。
とても小さい回廊だ。彫刻は摩滅したり、削り取られたりしているが、お花が咲いて心和む空間である。近くの人が子供づれで散歩に来ていた。

教会を出て、時計を見ると11時50分。ともかくローマ時代の凱旋門(1世紀)は見ておこう。
いそいで歩くと5分ほどの距離。

二つのアーチだけが残っている

アーチの内側には浮き彫りがしっかり残っている。

クリックするとアーチの全体像
上は勝利の女神ニケなのだろうか?唐草模様などもよく残っている

さて、どうしよう。お昼をここで、食べようか。しかしバスが12時15分にある。アルルの観光を考えると、早く帰った方がいい。
ともかく間に合うかどうか、バス停に急ぐ。でも途中で、この町の名物メロンは一個買った(1.5ユーロ、直径10センチくらい)
バス停にとまっているバスがアヴィニョン行きだった。乗車したとたん走り始めた。
12:15〜13:00 バス
途中、河が見える。デュランス河だ。

アヴィニョン駅で、駅構内のレストランに入りたいと思ったが、注文をとりにくるのがおそいと、列車に乗り遅れるので、売店で、フォッカチャのようなパンにトマトとモッツアレラが入ったサンドイッチを買った(4.1ユーロ)

13:20〜13:40 列車 
今回は片側が通路で4人がけのいすが向かい合わせに並んでひとつの部屋になっているコンパートメント式、だが扉は無い。無い方が安全な気がする。同じコンパートメントに二人乗客がいたので、写真は撮れなかった。サンドイッチと水でお昼。お向かいの人はコーヒーを飲んでいたが、私はコーヒー売り場はみつけられなかった。

    2日目ー2に続く