3日目ー2


12時40分  サン・ジルのレストラン、ル・クール で昼食

レストラン入り口 プロヴァンス風(ニース風)サラダ
アンチョビ、ゆで卵が入っている

チキンロースト チョコアイス


プロヴァンス風サラダ、アンチョビ、ゆで卵がはいっている。こういうのはニース風サラダというが、ここはニースではないので、プロヴァンス風と称するのだろう。チキン・ロースト、 アイスクリーム(どれも美味しかった) グラスワインの白を頼んだ。辛口で美味しかった。
14時15分〜14時45分 バス
サン・ロマン修道院跡地

上り口の看板

バスを降りて約15分、ゆるい坂道をのぼる。ちゃんと舗装されている。フランスは国家による公共投資が非常に多く舗装率も高いそうだ。目指すはこのテーブル状の岩山。

もらった パンフレットより 白のポピー

少し息が切れた。両脇には赤や白のコクリコ(ポピー)やえにしだなどお花が咲いていて、綺麗だった。
こんな人気のないところにもちゃんとチケット売り場はある。
ここは5世紀から15世紀にあった修道院の跡地。石灰岩の洞窟でもとは住居だったところを修道院に造っていったもの。
修道士が去った16世紀には徐々に要塞化されていった。(城は19世紀半ばに取り壊された)

この鳥かご状の中が階段 洞窟教会入り口

礼拝堂

ここが礼拝堂、とか、いろいろ説明はされたが、あまりにも廃墟で撮った写真のどれが何か良く分からない。
上にあがる。ローヌ川を見下ろす景色の良い場所。

遠くに別の砦。 岩盤に人形の墓穴。 遺骸は棺にいれたりせず直接この穴に葬ったそうだ。

岩盤に直接掘られた墓穴に胸をつかれる思いがした。
修道士達は日夜この景色を眺めながら、捨てた俗世を偲んだのだろうか。もっとも、現代で隠遁するのと違い中世の隠遁生活と普通の生活との落差はそれほどでもなかったのではあるまいか、などと考えるの不信心者だからだろうか。
(修道士ではなく、ここは要塞だったので、兵士たちの墓だったとも言われる)
ローヌ川の反対側は深い緑に覆われている。
松やエニシダなどの低い林(これをガリクという)。ここはすぐ岩盤。松の根から特殊な液が出て、岩でも根がつくそうだ。この油が出るために、山火事もとても多いという。
階段から下の部屋におりたが、その石段には貝の化石があった。

ラージルーム高さ12m、奥行き17m
ここはもともと三室に分かれていたようで、
壁にヴォールトの跡がある。 
一番奥は馬小屋。 手前は寝室、食堂または礼拝堂。
すべて手で掘られたとパンフレットには書いてあった。

ここから外へ

バス 15時45分〜16時20分
道路わきを少しあがったところにある、サン・ガブリエル礼拝堂

12世紀末の建築
丸窓(オクルス窓)の周囲の彫刻、現地では遠くてよく見えなかったが(やはり双眼鏡は必携)写真を拡大してみると花と面が交互に並んでいる。面白い。周囲の装飾はアカンサスの葉。上下左右を四福音書記者のシンボルで飾っている。

しかし何よりも目を引くのが、三角屋根の下の『お告げ』と『ご訪問』。

大天使ガブリエル、マリア、マリアのエリザベス訪問

『お告げ』のほうが大天使ガブリエルとマリアで三分の一ずつ占めている。そうだ。ここはサン・ガブリエル礼拝堂だった。(身ごもったことをマリアに告げるのは大天使ガブリエル)それにしても愛らしい彫刻だ。今回見たものの中で、もっとも気に入った彫刻。
12世紀末の建築の彫刻というよりアストゥリアス建築の彫刻のような、あるいは ベアトゥスのレオン写本の挿絵ような、もっと、時代を遡ったものである感じがする。饗庭孝男氏の『ヨーロッパ古寺巡礼』に、これと下の二つの彫刻はもう少し古い時代の建物からの転用という説がある、 と書かれていたことに納得。
上のオクルス窓はこの礼拝堂の時代にあっているように思う。三角屋根、アーチ、柱頭など 修復されているのだろう。

左、ライオンの穴のダニエル、 右は アダムとイヴ

ライオンの穴のダニエル、と罪を犯した後のアダムとイヴ、知恵の木には蛇もまきついている。
復活と、原罪、二つの違ったテーマが同じ枠内にある。これは少し稚拙な感じがする。
鍵がかかっていて、中には入れない。後陣の隙間から中を覗いた。

中央の細い縦長が窓、その横の黒ずみは人がいるので
ぼかしをかけたためで、本当は薄茶色の壁
後陣から覗いたところ、奥が入り口の扉


しばらく風に吹かれてからバス。
ところで、ここも前のサン・ロマンもお手洗いなどがあるような場所ではない。バスに乗る前、添乗員に「次のモンマジュールにはありますが、どうしてもという方はあそこにカフェがあります」 と数十メートル先のカフェを示された。結局どなたもいらっしゃらず、そのままバスで次に向かったのだが、見ると、そのカフェはこのあたりで、たった一軒の家。ということは礼拝堂の鍵を預かっているかもしれない、と思った。訊いてみるべきだった。

17時10分ごろモンマジュール大修道院
途中はまた水田、白鷺がいた。
まずはお手洗い、と中をどんどん抜けて上にあがる。ここはテラスで眺めがいい。昔はこのあたりまで湿地帯で、この丘は小島だったそうだ。そこにはキリスト教者たちの墓があって隠者たちが墓を守っていたのがこの修道院の起源。
建物の主要部分は12世紀のもの
修道士たちの生活が乱れたり、それを粛清したり、あらたに建て増したり。しかし革命により、国有財産として売却、というフランスの他の修道院と同じ運命をたどり、現在は国有財産になっている。

途中の水田

モンマジュール修道院ノートル・ダム教会
教会らしくは見えない 
奥の修道院長の塔は要塞化されていて、屋上に銃眼もある

テラスで少しお話をきいてから、教会に入る。

教会内部、 左が東、右が北の回廊、
東の回廊は12世紀の創建当時のもの

みどころは回廊。12世紀末に造られたが改修されていて、東の回廊だけが創建当時のものだが、中庭には井戸があり、なかなか良い雰囲気。

向こうが東の回廊、井戸も見える

 

南回廊から東回廊を見る
奥の廃墟は17世紀の鐘楼で古代神殿の形になっているところは日時計

柱頭彫刻の数々

悪魔に誘惑されるキリスト 左写真の悪魔

唐草紋の中の走る男
案内書によると、上のとこれが最も古い柱頭
『周縁のイメージ』マイケル・カミーユ著 によると 葡萄を食べる男
グリーンマン
右はシモンの家の食事
回廊壁側の持ち送りの彫刻 雄羊


とても残念だったのは、11世紀に建てられたサン・ピエール聖堂が修復中で見られなかったこと。プレロマネスクで彫刻も面白いものがあるようなので見たかった。「そばまで、行きたい」と言いたかったが、今日はスケジュールいっぱいで、もう遅くなっているので、ごねるのはやめにした。
ショップに寄る。
本をみていたら、プロヴァンス全体のロマネスク教会のことが出ているものがあったので、購入。その時は気がつかなかったが、フランス・ロマネスクの案内書として有名なゾディヤック叢書の携帯版 (新書版より一回り大きいサイズ) だった。
 PROMENADES  EN    PROVENCE  ROMANE  (15.9ユーロ)   ZODIAQVE
フランス語なので、私は完全には読みこなせないが、それぞれの教会の写真と解説が書かれていて、どういうルートで行けばよいか地図も載せてある。(掘り出し物!)

少し歩いてサンタ・クロワ聖堂(12世紀)へ。ここは昔モンマジュールの墓地の礼拝堂だった。

外観を写真にとって18時15分頃アルルに戻った。
そのまま希望者はスーパーマーケットへ。カマルグでお塩を買う時間がなかったので、添乗員さんがつれていってくださった。
最初のスーパーはカマルグ塩がなくて、ゲランド(ブルターニュ)のがあったので、とりあえずそれを買う。、次のスーパーにはあったが、数があまりなくひとつだけ買った。あとで、奥にもっとあったと聞いて、ちょっと残念に思った。125g入りで3,9ユーロ。お土産に喜ばれそうなパッケージにはいっている。(あとで買えると思ったが、結局どこでも見つけられなかった。旅行中はともかく見つけ次第買うのが原則。)

6時半過ぎにホテルに戻る。今日は夕食がついていない。添乗員さんが希望者を近くのレストランに案内する、というので、一緒に行くことにした。
 19時30分集合で、近くの、 プロヴァンス料理のレストラン オ・ブラン・ド・タンへ。(ここは 歩き方 にものっていて、私もマークしていたお店) 
スリーコース で18ユーロ のをとることにして(ワイン、コーヒー、チップで結局30ユーロ)、それぞれ、前菜、メイン、などそれぞれいくつもあるなかから、なんとか判読して、注文 
私は 前菜 貝の蒸し煮、とても小さい貝で食べるのが面倒だったが、にんにくがきいていて美味しかった(写真を撮り忘れた)
    メーン チキンローストクスクス添え。 お肉はちょっとパサパサしていたが、クスクスにレモンのマーマレードやドライフルーツがはいっていて美味しい。 
    デザート 焼きりんご 松の実やレーズ が詰めてあって、生クリームがかかっている

レストラン入り口 
ミストラルという強風が吹く地域のせいか、
窓にはこのように鎧戸ではなく板戸が多い
ワインはグラスがなくて500ミリリットル

チキン・ロースト、クスクス添え 焼きリンゴ

最初はすいていたのに、まもなく満席。美味しいし気取りがなく、現地人だか旅行者だか区別はつかないが、皆賑やかにお食事していている雰囲気が楽しかった。
21時10分頃ホテルに戻り、入浴
23時15分ごろ寝た