8日目

6月11日

シャトー・アルヌー〜ムスティエ・サント・マリー〜エクス・アン・プロヴァンス


6時ごろ起床 今日はホテルが変わるのでパッキング。
8時 朝食
8時30分〜9時10分
 散歩。 今日は市庁舎のところから上にあがってみることにする。

市庁舎

丘の上に古い町がある。教会はあまりにもさびれて美的価値は感じられない。

左が教会

デュランス河を望む遊歩道があるときいていたので行っててみたが、どうやら私の歩いた道より上の方らしくて川は見えなかった。

市庁舎の横から遊歩道がのびている

丁度郵便局が開いたので、やっと切手が買えて葉書を11枚まとめて出した。
この町はあまりにも小さくてさほど見るべきところはない。ホテルの写真など撮る。
10時 出発

途中にみごとなコクリコの咲き乱れる原があった。

ビデオからのキャプチャーなのではっきりしないが、

みごとなコクリコの野がひろがっていた
マノスクをすぎてからの、小さな村

マノスクを過ぎてから川沿いの道を行く。緑が深くてとても気持ちが良い。
マノスクというのは、少し前に出た『木を植えた男』 を書いたジャン・ジオノの出身地だ。そう思いながら車窓からまわりの森を見渡した。ただ 木を植えた男、というのはフィクションだそうだ。

11時35分 ムスティエ・サントマリー着   
村に入る手前で写真ストップ

中央が ムスティエ・サント・マリー

到着後まず少し坂道を上って、聖アンヌ礼拝堂へ行く。古い感じがするが、16世紀のもので、それ以前にあった礼拝堂の跡にたてられたもの。

聖アンヌ礼拝堂

 中には入れなかった。 そこから少しおりて、旧市街へ。
 水の流れる可愛らしい町。 

ムスティエ参事会教会に入る。

身廊 拡大すると、祭壇。 石棺の再利用のように思えるが、、。


この町はフリーで観光することになっていて、昼食がついていない。でも全員で小さなカフェに入った。
サンドイッチでいいということになったのだ。
1時10分ころ食事


ところで、私はサンドイッチというと、このあいだ、アヴィニョンの帰りの列車の中で食べたピタパンに挟んだものを思い描いていたが、バゲットにはさんだもの。
フランスで普通サンドイッチというとこれだ、ということをうかつにも忘れていた。
しかしフィリングのせいか、適当に湿り気があって、ちょっと食べにくいかな、という程度で歯が欠けるようなことはなかった。しかし全部はたべられない。どなたかがパンは残して、中身だけ、ということをなさっていたので私も真似をした。

食後、 希望者で山の中腹のノートルダーム・ドゥ・ボーボワール教会に行った。

ここは聖域、静かにの注意書きもあった。
下左写真の上、中央より少し右に黄色い点がみえるが、これは『ムスティエの星
上写真の空、中央より少し右よりにも小さいl黄色い点として、みえる。(拡大すればもう少しはっきりします)
こ れは 十字軍時代、ブラカ・ドープという騎士がイスラム教徒につかまったとき、「もし、故郷に戻れたら、マリア様の足元にチェーンをかけます」とこの岩のマリア様に誓い、無事に戻れたので、チェーンをかけた、ということによる。
この星は 1957年8月18日、その少し前に落ちたロープに替わって新しいロープが張られたときにつけられたもの。 ニッケル製で、 1メートル17cm、18kg、ロープの長さは220m。

あれが目指す教会

階段をのぼって15分くらいで到着

教会前のテラスからの眺め

帰りは少し回り道だが、別の道からおりた。この道はとても足場が悪く時間もかかったが眺めは良かった、遠くにサンタ・クロワ湖がみえた。空にはハングライダーも。

サンタクロワ湖

ハングライダー マグダラのマリアの洞窟

なんとマグダラのマリアの洞窟があった。
歩いているときには気がつかなかったが、考えてみるとこの町の名前は ムスティエ・サント・マリー つまり、この聖女マリアに由来しているのではないか。そう思って買ってきた町のパンフレットをもう一度読んでみたが、どこにもこの洞窟については触れられていない。正式に名乗りをあげるのは遠慮したのかな? でも格好の洞窟をみつけると想像は膨らむのだろう。狼しか友はいなかった、というのもどこかで読んだ記憶があるが、何にでていたのかは覚えていない。

ともかく、罪の女、 悔悛の女 というのは親しみやすい存在なのだろう。

マグダラのマリアの洞窟は サント・ボームにある筈なのに、、、?

さらに、ウオーキングを続けて滝を見に行く方もいらしたが、私はショッピングもしたいので、二時半ごろ町におりた。
ここは焼き物の町として有名で、私はマグカップを買いたかった。何軒かまわったたが、これ、というものはなく、取っ手のない大型湯のみと、花瓶に使うつもりのミルクピッチャーを買った。白地に青で描かれたのがほしかったが、あまりなく、以前サン・マロで買ったカンペール焼きとおなじような白地に青とオレンジ色で絵が描かれたものが多かった。

買い物をしていると時間がすぐにたってしまって、陶器博物館に行く時間が私にはなかった。(いらした方も)

15時20分 バスでエクス・アン・プロヴァンス(長いので、今後エクサンプロヴァンスあるいは単にエクスと書くことにする)に向かう。
17時少し前 ホテル、ロワ・ルネ 到着
今回の旅行で初めてのアメリカンスタイルのホテル。
時間があるので、サン・ジャン・ド・マルト教会とグラネ美術館に行くことにする。
ホテルから10分もかからずにいけるはずなのに、道を間違え、散々まよって、親切な方にそばまでつれて行っていただいて、やっと到着
グラネ美術館 
ここはマルタ修道院跡に建てられ、エクスの画家グラネ(1775〜1845)の作品やその他寄贈作品がおさめられている。
この町の生んだ画家セザンヌの作品もある。残念ながらカメラ禁止。
しかしセザンヌの作品は小品ばかりで、さして、、、。
私の好きなクレーが一枚、ピカソも一枚、
綺麗だったのは14世紀のゴシックかいが。『お告げ』『ご生誕』 など。
もっとも興味深かったのは地下の考古学室。
紀元前二世紀の(エクス郊外にある) アントルモン遺跡の出土品。 この地はケルト・リグリア族が住んでいた場所で、その戦士の首やトルソがあった。(写真禁止なので、買ってきた絵葉書から)

紀元前2世紀の戦士の頭

紀元前2世紀の戦士のトルソ

14世紀シエナープロヴァンス派、シモーヌ・マルティーニに近い画家による、 『お告げ』『ご生誕』

岩に首(頭部)を彫った面白いものもあったがその絵葉書は売っていなかった。
次に教会へ。サン・ジャン・ド・マルト教会
ここは、かつてのマルタ騎士団修道院分院の礼拝堂。(マルタ騎士団はもともとは聖ヨハネ(サン・ジャン)騎士団といったのだが、ロードス島を経てマルタ島に本拠地を置いたから、この名になった)
13世紀末に建てられたエクス初のゴシック教会
ステンドグラスが綺麗だった。

サン・ジャン・マルト教会 尖塔の上にはマルタ十字

ステンドグラス 拡大すると、下にかけられている絵 

舗道にはセザンヌマーク。ここはセザンヌの生家に近いはず。しかし行きに道を迷ったために時間がかぎられている。
前回はそのあたりにも行ったので、もう一度いくのはやめにして、いそいで、ホテルに戻った。

セザンヌのマーク 泊まったお部屋

19時 夕食
ホテルの中庭で
シェーブル・チーズとサラダ、カジキ鮪のステーキ(ちょっと大きすぎ、付け合せのポテトが美味しかった)洋ナシのタルト、コーヒー

シェーブルチーズとサラダ カジキ鮪ステーキ

洋ナシのタルト エスプレッソ。チョコとエクス名産のカリソン付き

21時ごろ部屋に戻り23時ごろやすむ。