お天気は観光には支障がなかったが、 晴れたり、くもったり、小雨がふったり。とても涼しい。
今日は、待望の、ルーマニア観光の ハイライト、世界遺産にもなっている五つの修道院巡りの日だ。
5時前に起きる
7時 朝食
そのあと近くを散歩する。ホテルの前は駐車場と広場 。
その向こうにはシナゴーグだろう、ダビデの星のついた建物がある。
あとで、ガイドさんに確かめてみたら、やはりシナゴーグとのことで、ルーマニア全体でユダヤ人は12000人、small circle だと言っていた。(帰国して、本を読んでみると、第二次大戦前までは、ルーマニアには多くのユダヤ人が住んでいたようだが、収容所送りになったり虐殺されたりしたそうだ)
ホテルの横の道がこの町のメインストリートのようなので、そこを歩く。
数分行くと、部屋から見えた、教会の前に来た。
外から、ビデオを撮っていると、閉まった教会の扉の前に中年(もう少し年寄り?)の男の人がいる。どうやら、ドアの前で十字を切ってお祈りしているようで、そのあとドアにどうやら口付けしているらしい。お祈りと口付けを何度か繰り返してその後ドアに向かってお辞儀をして出てきた。今日1日の無事を祈っていたのだろうか。
この教会は新しく、綺麗過ぎて落ち着かない気がするのは私が観光客で、美術鑑賞の目でしか、教会を見ていないからだ。ここの人たちにとっては生きた教会でここを心のよりどころとしている人たちがいるのだ。心打たれるおもいで、暫くみていた。
教会の中には入れなのでお庭に入ってみる。この町にくる途中の民家の庭にちょっと百葉箱ににているがずっと装飾的な小さな家の形をしたものがあったが、それと同じものがあるので、そばに寄ってみると、中は井戸だった。きっと、雪除けに屋根をつけてあるのだろう。

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メインストリートにある銀行 |
教会、暗くてよくみえないが、人が祈っている |

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可愛い家で覆ってある井戸 |
教会の庭の十字架 |
9時 バスで出発
出発して10分もたつと、山の中に入っていく。
右側に水の綺麗な川、そして、森、緑の丘 ときに一見スイスの何処か、という感じがするところもある。
道は舗装されているがガタガタ。

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途中では新築の結構大きな家が目についた |
車中で、添乗員さんから、どの修道院もカメラ、ビデオ撮影料(それも外壁だけで内部はダメ)をとるので、おすすめ度と見所を書いた説明書を渡された。
どこもビデオ10万レイ(400円 折角はるばる来たのだからと結局どこもビデオにおさめた)。
今回の旅行で、一番お金を使ったのが、このビデオ撮影料というものだったような気がする。
9時40分〜10時25分 モルドビッツァ修道院
お勧め度は3番目だが、最初に見ることができた修道院なので、とうとう来た、と感激。
1532年にペトル・ラレシュ公が建てたもの。
ここの外壁では壁画は『コンスタンティノープルの包囲』が有名。
626年のペルシャ軍のコンスタンティノープルの包囲を描いているが、この修道院の創建当時、モルドヴァ公国はオスマン朝の宗主権下で、自治を許されている、という状態だったので、モルドヴァ公国を撃つオスマン軍への憎悪がこめられていて、ぺルシャ軍の顔がトルコ人だそうだが、はっきりとは判別し難かった。このあと観ることになるどの修道院にもエッサイの木、(エッサイはダビデの父親、そのエッサイのおなかから木がはえていてダビデやソロモン、、、、マリア、イエスへと家系樹がえがかれている。)それから、デイシス、(イエスにマリア、ヨハネを介して救いを祈願する図)は描かれている。

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キリストの磔刑図 |

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ペトル・ラレッシュ公の像(奥の建物が博物館) |
右下にコンスタンティノープル陥落が描かれている |
正教の教会は一般的に小さいが、これは神と近くで話すためだそうだ。
ミサは9時から12時まで、全員立ったままで行う。
見取り図的にいうと、入り口のポーチ、前室、お墓がおいてある部屋、礼拝室の順にならんでいて、単廊式(たとえば三廊式だと、柱の列によって、たてに三分割されている、単廊式は、さほど広くないので間に支えの柱が必要ないということにもなる)である。
礼拝室には奥に上から下まで神聖な場所を信者から隔てるためのイコノスタシス(イコン立て)がある。
ここのは、各段の区切りが金のぶどう、鳥などの彫刻で飾られた豪華なものだった。
ここには宝物館もある。(1612年) ジャーナリストから贈られた金の林檎も飾られていた。
11時〜11時45分 スチェヴィッツア修道院
(ここは外壁の)地色が緑色。 外壁の絵として有名なのは、天国への階段。救われた人は階段をのぼって天国に入るが、救われない人は途中からおっこちる。落ちる人の顔はトルコ人。それと、エッサイの木も描かれていた。
この修道院は、五つの修道院のうち、唯一世界遺産になっていないのだが、ルーマニアの人はここを含めて世界遺産だと言っている。
ここは、社会主義時代も修道女がいることが許されていて、現在も60人ほどの修道女がいるそうだ。
12時15分〜35分 アルボーレ修道院
一番小さい修道院で、シュテファン大公が領主だった時代の貴族、アルボーレによって建てられたものだが、傷みがひどいということで、ビデオ撮影料は取らなかった。
中は撮影してもよかったが、修復中で足場をくんでいて、うまく撮れないかもしれないので、撮らないことにした。
しかし、草ぼうぼうの庭に立つ絵のはげた修道院はそれなりに風情があった。
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途中、馬の耳に赤い切れがつけられているのがあったが、これは魔よけで、洗礼前の赤ちゃんに赤いものを巻くそうだ。
1時10分〜2時25分 グラフモール (グラとは口つまりフモール修道院への入り口)、のモルドヴァというレストランで昼食
ナスのペーストサラダ、モルドヴァ風マッシュルームシチュー、チーズパイ

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奥がナスのペースト |
マッシュルームシチュー
奥はママリガ |
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日本人客のために日の丸が立っていた |
このレストランではこのあと、結婚式があるらしい |
2時40分〜3時20分 フモール修道院 1530〜1535年
フモールとはユーモアという意味。 ブブイオグ大臣夫妻によって立てられたもので、絵はトマという画家によって描かれている。画家の名前がわかっているのはここだけ。地色は赤

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修道院入り口 |
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修道院を出たところでは、じゅうたんを売っていた |
3時35分〜4時30分 ヴォロネッツ修道院 1488年
シュテファン大公はトルコ戦に勝利するたびに、教会を建てたがその数 は33。 これもその教会の一つ。
ここがお勧め度ナンバーワン だけあって、地色の青が美しい。
モルドヴァのシスティーナと呼ばれる。この青はエジプト産のアズライト。青はラピスラズリを使うと思っていたが、ラピスラズリは水がかかると緑色になるのだそうだ。
西の壁には最後の審判ががかれているがこれが圧巻。左下にはアブラハムだけでなく、ヤコブ・イサクの三人の族長が描かれている、南面にはエッサイの木 どの修道院も描かれているテーマは同じだ。

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最後の審判 |

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ブルーが美しかったのだが、残念ながら写真では再現できていない |
最後の審判の左下、三人の族長アブラハム、
イサク、ヤコブ |
教会内の壁画ではキリストの磔刑が気に入った。
5時20分 ホテルに戻る。
7時30分 ホテルの横にあるこのホテルのレストランで夕食。
山小屋風のつくりでステキな建物。民族衣装を来たウエートレスが入り口で、小さな壺に入った食前酒とおつまみをサービスしてくれた。いすはベンチで背にはこの地方の織物が掛けられている。
ワインを頼むと陶製の壺に入れてもってきた。お料理の載っているお皿も青地で、ステキ。
チーズサラダ、ミティティ(豚ひき肉にニンニク、ハーブを混ぜてソーセージ型にして焼いたもの)フライドポテト添え フルーツケーキ
ステキなレストランで、おみやげに木のスプーンまでもらった。美味しくて満足

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ミティティを焼いているところ |
毛皮の飾りのついたベストを着たウエートレス |
8時45分ころ 食事が終わって、外でフェスティバルをやる、というので、いってみたが、もう終わっていた。
ホテルに戻ると、結婚式が始まるところで、花嫁さんたちが入り口に立ってお客様に挨拶をして、ワイン(シャンペン?)をすすめている。
ビデオをとっていたら、どうぞ入ってください、というようなことを言われ、身振りで宴会場へとうながされたが、遠慮した。
あとから、はいってみたら面白かったにちがいないと、ちょっと後悔した。
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部屋に戻り、10時には寝た。
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