6日目  

7月24日  クンブルング・モルドベネスク〜マラムレシュ地方〜バイアマーレ



今朝は途中で目が覚めることがなく、5時15分にセットした目覚ましで初めて目が覚めた。つまり今日で、時差ぼけが解消したことになる。
今日はお天気があまりよくなくて、曇り、時々小雨
7時に朝食に降りる。
8時  ホテル出発
 まわりは緑深い山、深い森、所々に農地もある。農家はきれいに飾られ、家の横には 薪が詰まれていて、馬を飼っている。時々一頭、ヒョコヒョコとバスの前を歩く。
 途中から ビストリツァ川(昨日の雨のせいか、水位が高い)の横を走る。川で釣りをしている人がいたり、乳絞りをしたのか、ミルク缶をぶらさげて長靴をはいて歩く人がいたり、気持ちの良い農村風景。バスの中から撮ったビデオからカットした写真なので、いい絵がないのだけれど。

こういう屋根の形が多い

失礼ながら、ルーマニアの人たちは貧しい暮らしをしているのかと思っていたが、どの家もとてもステキ。
土地が安く材料になる木も安く手にはいり、自分で家を建てるのだという。
隣近所と競いあうので、このようなメルヘンチックなステキな家が立ち並ぶことになるのだそうだ。
ここの中年の40パーセントは出稼ぎをしているそうで、(イタリアが多い)だから、お金があって新しい家が建つのだ、と思った。
9時半ごろプリスロップ峠  1416m  モルドヴァ地方とマラムレシュ地方の境、でバスを止める
写真ストップだが霧深くて、展望はきかない。降りるとこごえるほど寒い。

タタールの記念碑

うっすら、1416mと読める

ここには タタール人が攻めてきたときの記念碑があった。タタール人がここまで?と思ったが、ここは、ウクライナに近いことに気がついた。タタールのくびき、などという言葉も思い出した。(タタール人というのは、モンゴルの一種族の韃靼人から出た語で、ロシアではモンゴル人や、トルコ系種族をこう呼んだ。地獄を意味するギリシャ語のタルタロスとの連想からも使われたという。つまりそれほど恐れられたということだろう。)
10時15分〜30分 レストランで トイレストップ、
 とてもステキなレストランで、ここでゆっくり休憩したいと思った。バーカウンターをみると、こんな山奥なのに、我が家でも愛飲しているラヴァッツァ(イタリアのコーヒー、エスプレッソ用。 イタリアへ出稼ぎして覚えた味かな?)がおいてあるようだった。
この短い時間にちゃんと飲まれた方もいらした。勿論美味しかったとおっしゃっていた。
 マラムレッシュとは鹿の国 という意味だそうで、剥製の鳥や動物が飾られていた。

レストラン内部 木工の土地らしく、椅子の背の彫刻は一つ一つちがったもので、素晴らしい

11時15分〜40分  ボグダン・ヴォーダの木の教会 1718年建立の聖ニコラス教会
 名前は1359年、ハンガリーから独立してモルドヴァを建国した、ボグダンに由来する。

 今日は日曜日。横に10年くらい前に出来た新しい教会があり、そちらでミサが行なわれていた。
 入りきれなかったのか、外にもたくさん人がいる。
 木の教会は中には入れなかったが、窓から、ビデオカメラをつっこんでみた。シャンデリアらしきものもぶらさがっているが全体的にがらんどう。うっすら壁画がのこっているのが、ビデオ画面で確かめられた。

写真を撮ったり、ぼんやりあたりを見ながらぶらついているうちにミサが終わってたくさんの人が出てきた。
普通の服装の人もいるが、女性はこの地方独特の膝丈のプリーツスカートをはいている人が多い。年配の人は黒だが、しっかり観察なさった方によると、ただの黒ではなく地模様があって色々違った柄だそうだ。スカーフをかぶるのは結婚した女性。

ミサを終えて新教会から出てくる人々民族衣装
でない少女たちの服装は日本とかわりはない

おばあさんの短めスカートがなんだかほほえましい

よく見えないが古い木の教会の内部

新しい教会の内部

観光客がいてうれしそうで、何を言っているのかはわからないのだがニコニコしながら、話し掛けてきたり、手をふったり、お花をいただいたと喜んでいらっしゃるツアーのメンバーもいらした。とても人なつこい感じの人たちだった。
皆三々五々、歩きながら、また家の前のベンチに腰掛けておしゃべりをしたりしている。
日曜日は仕事をしないので、おしゃべりを楽しむらしい。

そういえばこのあたりは、娯楽施設といえるものは何もないところだ。(テレビはあるのだろうか)
チャウシェスク政権時代の近代化政策もこのあたりまでは届かなかったので、昔ながらの風習が残っているのだが、でももう何年かすると、こういう風景は見られなくなるのではないか、という気がする。

11時50分〜12時15分   ロザブレアの木の教会 1717年に建てられた聖天使教会
 まず、入り口の木の門が素晴らしい。

教会入り口の門

現在も使われている教会らしく墓地もあった

この教会は添乗員さんのおかげで外観だけでなく、中に入ることができた。
内部は長方形で、やはり翼廊などはない。
入り口に近いところは女子席、奥のイコノスタシスに近いところがが男子席。(差別だ)少年は二階。
壁に絵描かれているが、これはキャンバス地を張ってその上に描いてある。信者が刺繍したのか、布がたくさんかけてあった。

手作りの品々、どうやら売り物らしい

矢張り、この村でも日曜とあって、道をそぞろ歩きしたり、家の前のベンチでおしゃべりしたり。それとも観光客を見物?

12時50分〜2時15分   シゲット・マルマツエ(もとは市場町だったが、今は家具じゅうたん木工業が盛ん) 
 CASA IURCA CALINESTI  で昼食、中庭に面した回廊のような所で、緑に囲まれてとても気持ちが良い。このあともこのツアーはお昼はたいていこのような、木作りの民芸調のすてきなレストランが多かった。
カシュガル・パネ(チーズフライ) チキンカツ 、チョコレートクレープ、
  

チーズフライ

チキンカツ

2時45分〜3時15分   サプンツァ の陽気な墓を見る。
これは、1935年に村人のイオン・パトラシュ氏が、お墓を楽しいものにしようと、故人の生前の職業や生活をユーモラスに彫刻彩色したことから始まって、彼が亡くなった後も一族がこの陽気な墓つくりを引き継いでいる。こういう 綺麗なお墓が約150基ある。
 お墓はきれいに花が植えられているが、これもご近所の目というものがあってきれいに手入れする、という面もあるそうだ。

イオン・パトラッシュ氏の墓

こことシゲット・マルマツエのあいだの道は非常にウクライナに近いところを通る。
ティサ川をへだてて向こうはウクライナで、家も見える。はるばると来たものだ、という感がする。ぜひとも写真をという希望にこたえて、ちょうどガソリンスタンドがあったのでトイレストップをかねて写真ストップ。しかし川までは行けそうもないので、私は行かなかった。下の写真は走るバスからのビデオをカットしたもので鮮明ではないのですが。

山の麓、白く見えるのが、ウクライナの家々

手前は支流、向こうに横に流れているのがティサ川

4時20分〜55分  ホテニ村の民家を訪問、 ギョルゲさんという音楽家のお宅。 
広いお庭、東屋もある。、大きな屋敷、向こうには果樹園もひろがって、特別お金持ちのお宅ではないか、と思った。中には手作りの刺繍製品で飾られ、希望者は民族衣装を着て写真を撮ったりした。
イコンも飾られていたが、家でミサをするためだそうだ。
音楽家の家らしく、バイオリンはいくつも 壁にかけられ、グランドピアノもあった。
お孫さんは、パソコンで、テレビゲームに熱中していた。 そのうちこれが若者にひろまって、日曜日の往来でのおしゃべりはなくなっていくだろう。

家の前に立つギョルゲさん

5時40分〜6時25分  シュルディシュティ の木の教会  1721年建立 
高さ72メートル古い木造では世界一高い。
この教会は、ギリシャ正教とローマカトリックの合同教会。
ここは、ウクライナに近く、ウクライナはポーランドとの関係から、カトリックと正教の合同教会(ユニエイト)が多いからだろうか。(ハンガリーのカソリックの影響もあるのかもしれない。どちらによるのかは私には分からない)
合同教会とは正教の典礼にしたがって、立って礼拝し、ユリウス暦で、聖職者の結婚も認められるが、ローマ法王に服従する、というもの。

教会内部 イコノスタシス

壁画が薄くのこっている

 二階にもあがれるようになっている。 あがってみたが、はしごがかけてあるだけで手すりがない。あがったはいいけれど降りるときにははこわくて顔がひきつってしまった。片側は壁とはいえ、屋根にはしごをかけたも同然の状況なのだ。(一度床に座って足を段におろして、腰をすべらせるようにして、下の段に足をおろし片手は壁、もう一方の手は後ろに回すようにしてはしごをつかんでやっとの思いで降りた。)
バスを降りて、少し歩いたが、道には(多分近所の家から)観光バスが来たと、いそいで手に手にレース編みや、ミネラルウオーター、ケーキまで持ってきて売りにきている。こういうことと、ステキな家がどうも結びつかない。

6時55分 バイヤマーレのホテル、マーレ到着

ホテルは新しくて、近代的でほっとする。年のせいか、趣があるなどということより、使い勝手が第一だ。
たとえば洗面台、ただシンクがあるだけでなく、カウンターがないと化粧ポーチなどを置けない。ここはカウンターがある。

8時 夕食
 バスが細い山道を走ったせいか、お昼の揚げ物のせいか(私は揚げ物を食べると必ず気持ちが悪くなるので、控えめにはしていたのだが、折角の名物なので、つい、食べてしまった)、酔ったようで、到着直前から気持ちが悪くなった。食事はぬいたほうが良いかと思ったが、一応食堂におりた。
ミートボールスープ、ポークステーキ、サラダ、アップルパイ
 殆ど食べられなかくて、ウエートレスに不審そうな顔で見られてしまった。(でも写真はしっかり撮った)

9時過ぎ、部屋に戻って暫くしておさまったので、入浴、洗濯
10時20分頃寝る