12日目  

7月30日  ベリコ・タルノボ〜アルパナシ〜カザンラク〜プロブディフ



 快晴
8時30分  出発
8時35分〜9時25分  ツァレヴェッツの丘
第二次ブルガリア帝国時代にはこの丘全体が宮殿だった、がオスマンの攻撃(1393年)で廃墟と化したところ。
ブルガリアはその最盛期に侵略によって国土を失い、500年にわたって、オスマン・トルコによって占領されていた。門の手前でバスをおりて、頂上の大主教区教会 まで、説明を聞きながら、30分くらいかけて上った。
すでに気温は30度なので、少々きつかった。

大主教区教会

入り口、門は三つある

丘の上から、ヤントラ川を見下ろす

頂上の教会は1985年に再建されたものだ。
共産主義時代なので、なかの絵が現代絵画(ブルガリアの歴史を描いてあって、ボリス王なども描かれていたが、カメラ禁止)で、それも男性的に荒々しくデフォルメされていて、あまり教会らしくなかった。
丘からの町の眺めは良かった。

チャルシャ通り

9時35分〜10時20分  チャルシャ通り でフリータイム
しおり、 カードいれ(刺繍) 、ペンダントヘッド 二種類 を買った。
お店によって、値段がレバ、ユーロ、ドルと表示が色々だ。
薄い透き通る絹地に手刺繍のブラウスがすてきだったので、買いたかったがサイズがあうのがなくて残念だった。
行ったりきたりしてお店をのぞいているうちに集合時間におくれてしまって申しわけなかった。

10時35分  元国家評議会議長 ジフコフの夏の家だった、アルパナシ・パラス でトイレストップ。
ジフコフって共産党だったのでは?とても豪華な建物だ。作家ゲオルギ・マルコフが亡命先のロンドンで、傘の先に仕込んだ毒によって暗殺されたのは、これを批判したためらしい。
ロビーの 調度品もりっぱで、丘の上なので テラスからの眺めも良くて、ここに泊まりたかった。(しかしガイドブックによるとエアコンつきは10室、やはり泊まれば暑い思いをしなければいけなかったようだ。町歩きを考えると、タルノヴォに泊まるのが正解だったようだ)

教会入り口上部のイコン

10時55分〜11時25分 アルパナシ村の生誕教会 見学
ここのフレスコ画は圧巻だった。写真禁止が残念。
いくつも部屋があって、どのへやの壁も天井もびっしり絵が描かれている。
奥が男性、手前は女性信者の礼拝室になっている。
男性の部屋には、キリストの、女性の部屋にはマリアの生涯が描かれている。
ルーマニアの修道院と同じように最後の審判で、おぼれるように地獄に落ちる絵もあった。
皆が面白がったのは、人生の車輪。 
二人の天使が車輪を回しているが、頂点は45歳、我々は皆下り坂だ。

生誕教会の入り口、奥に教会が見えるが一見ふつうの家のようだ

村の中の道

コンスタンツェリフハウスに入るところ

少し村の中を歩いて、コンスタンツェリエフの家に行く。
この村はオスマン時代に、税制で優遇措置がとられていたので、村人は裕福で、大きな屋敷がいくつもある。
この家もその一つ。中はお土産物屋さんになっている。
私はTシャツや壁掛けを買った。レバが少なくなったので、ユーロで支払い。

壺入りシチュー

11時55分〜1時5分  レストラン リュラカで昼食

スープ、ここの名物の壺入りシチュー、
ヨーグルト(クリームチーズに近いようなかたまり具合で、ナッツと蜂蜜がかかていて美味しかった。
ワイン4レバ
このレストランはとても広い庭に面していて、緑が涼やかで気持ちが良かった。外にはかまどもあった。

かまど

庭がとても広い

2時25分 シプカ峠 (1306メートル)、トイレストップ、ここでは水牛のヨーグルトが食べられるということだったので、試してみたかったが、なにぶんにもお昼を食べた直後なので、入りそうにもないのであきらめた。(召し上がった方はいらっしゃらなかったようだ)
山の上には露土戦争(1887年)の記念碑(自由の碑)が立っている。(ここは激戦地であった)
ブルガリアは長い間トルコの支配下にあったので、ロシアとトルコが戦争をして、ロシアが勝ったことはトルコからの解放を意味した。

峠に向かう山道は緑が綺麗だった

シプカ峠の頂上に立つ『自由の碑』


ブルガリアはルーマニアやポーランドなどと違って東欧の中でもっともソ連よりだったがその理由は、この露土戦争で、トルコから解放されたことと、ソ連と国境を接していないため、領土問題などでぶつかることがなかったためだ。(こういうことは、帰っててから、本をよんで 知ったこと。旅行というのは刺激になる)
 2時40分 山を下ってカザンラクへ向かう。
 バラの谷と呼ばれているところである。
バスの中で、
ここのバラは150年前にペルシャやトルコからもたらされた香りの強いダマスクス・ローズという品種であること、
薔薇摘みは、朝4時半から、9時までの間に行なわれるがそれはこの時間以降は新鮮な朝露がなくなるからだめ、
ブルガリアの薔薇香水は世界一。
5,6月以外はラベンダーやミントやカモミールがつくられる。
などという話を添乗員さんから聞いた。
途中シプカ教会で写真ストップこの戦争で亡くなったロシア兵を悼んでたてられたもの。

トラキア人の墓

バスの中から、ところどころお椀型の塚が見えた。
これがトラキア人のお墓だ。
大きい塚の横に小さいのがあるのはその奥さんのお墓。
トラキ人支配階級の人は何人か奥さんをもっていたが、死ぬときはその中の一人が殉死したそうで、女性陣から、かわいそうの声があがる。
途中でバスが警官に止められた。時々抜き打ちの書類検査があるそうだ。
3時25分〜3時55分  クラタ民族博物館
民族衣装をつけた人たちにむかえられて、ダンスを見る。パン、薔薇のジャム、薔薇のお酒 (これはどうも?) をいただいた。

博物館の塀

蒸留器

薔薇香水を作る蒸留器もおいてあって、お水が出ているのをかけてもらったら、甘い薔薇の香りがした。
民家を見学

台所

そのあと、すぐそばの小高い丘の上の公園にあるトラキア人のお墓を見る。
ほんものは入れないのでレプリカだが、とても狭いので4人ずつ順にはいった。
丸天井の絵がきれいだ。 狭いので、おちついて安らかに眠れそう。

本物のお墓の入り口

ドーム型なので、まん中の丸の方が高い

4時25分〜45分  グランドホテルで休憩 ショップでピュア・ローズオイルをお土産用に5本買った。
バルカン山脈の間を行く。途中の川でジプシーが髪を洗っていた。
トラキア平原を行く。 ここでは果物野菜、タバコ、綿花などが栽培されている。
6時10分 プロヴディフのノボテルホテル着
このホテルはホールも広くお部屋もとても広い。

室内

エレベーターホールから見た旧市街

カードキー 。バスルームにティシュペーパーがおいてあったのは結局ここだけ。
洗面台のカウンターも広く台の下には、各二枚ずつかかているタオルとは別にもう一組おいてある。一人だから、三枚も使わないのだけれど、気持ちがいい。矢張りアメリカン・スタイルのホテルはいい。
7時30分〜8時30分  夕食
 サラダ  鱒  フルーツサラダ
両替 ここは円からも替えられてレートが良かった。1万円=140レバ(1レバ=70円が65円だった)