3日目

3月18日  

ベイルート滞在 (アンジャール、バールベック)


5時30分  起床 夜中2時前に一度目がさめたがよく寝られた。

21階からの眺め


6時40分朝食  遠出なので軽めにしておく。 
ビュッフェだが、種類は豊富。
レストランは21階なので眺めがいい。 ベイルートは、三方が、海に囲まれていることがよくわかる。
しかし町並みは、屋根に衛星放送のアンテナが林立していて灰色で、お世辞にも美しいとは言い難い。

7時20分  部屋に戻り、日記を書き、荷物整理。
8時    出発

バス5分で、鳩の岩 で 写真ストップ  青い地中海、でも光が反射しすぎ。

途中で休憩したところでみた、水タバコ

それから、レバノン山脈の標高1500メートルまで上る。途中、雪も残っていた。
途中、一度、トイレストップ。景色は良いが、軍の施設があるとかで、
写真を撮ってはいけない所もあった。
少しくだってベカー高原、肥沃で、野菜が作られている。
10時10分  石切り場  
ここからはバールベックがよく見えるのだが、VIPのため、(途中、ハンガリー の首相一行に追い抜かれた)しばらくバールベックにはいれないので、いそいでトイレをすませてアンジャールに先に行くことになった。
 
11時 10分から12時  アンジャール 
ウマイヤ朝のカリフ、ワリド1世(8C)が建てた夏の宮殿、水の豊富な地で、シリヤをレバノン、メソポタミアと結ぶ中継地または、交易地だった。ビザンチン時代が終わりイスラムの時代が始まったばかりなので、ビザンチンの建築家が建設にたずさわり、ローマ風、ビザンチン風な都市作りになっている。
南から北は、カルト通り、西から、東には、デクマヌス通り、その交わる所には、四面門(テトラピロン)、通りの左右には、商店が並んでいたそうだが、今はその痕跡はない。

カルド通り 商店街だったが、
今はアーチ列が残るのみ

グレートパレス

グレートパレス

このローマ風町作りは、トルコの遺跡にもよくあったが、概要が今ひとつよくわからなかった。しかし、ここはこじんまりと実に整然としているので、やっと分かった。
左奥に、宮殿、モスク、デクマスク通りをへだてて、ハーレム、浴場、右は居住区になっていて、道幅は20メートル、商店は入り口のアーチ列だけが残る。
空気は、ひんやりと冷たいが日差しは強く、コートを着ているので暑い。宮殿、モスクなど、白い石の間に赤いれんがをはさみこんで、縞模様になっていてきれい。残っているアーチが華奢で、60年しか存在しなかったという(ワリド1世のいとこのマルワン2世によって、破壊された)はかない歴史を物語っているよう。
ひっそりとした、魅力的な遺跡。 

モスクがあったところ

我々一行以外に観光客はいない。山に囲まれ、小鳥がさえずり、廃墟の石の間には小さな花が咲いてのどかだけれど何だか物悲しい美しさ。この旅で心に残った景色の一つ。

1時間くらいかけて、バールベックにもどり、まず昼食。

KING RESTRANT アラブ風前菜(種類が多い)
 生野菜を洗ったまま切らずに出してある。 レバノンはどこでもこのスタイルだった。巨大なピーマン、一人では食べられないがS夫人が切ってくださったのでいただいた。にがくなく、みじみずしくておいしい。トマト、きゅうりはふつうの味。(昔のトマトやきゅうりの味を期待していたのだが)。 
向こうの上に赤いのがのっている鉢はタブーレといって、下にきゅうりやイタリアンパセリなど緑の野菜を刻んだものにトマトがのっている。美味しくて家に帰ってつくってみたが、このとおりの味にはならなかった。 
 ギョーザに、白身の魚のすりみと、野菜のみじん切りがはいったもの。左のお皿の白い中に赤いものがはいっているのや、手前、右の黒いのはペースト(ナスや胡麻)。 ホブスといううすいパンにはさんだり、塗ったりして食べる。
メイン  アマルートという魚をあげたもの。あっさりしておいしい。
デザート  フルーツもりあわせ。  りんごにする。小ぶりだがおいしい。ティーを頼んだら、トルコのチャイのグラスにいれて持ってきたが、甘くはなかった。
2時  バールベックの観光  時折、小雨がぱらつく。

神殿入り口の階段

上がると六角形の中庭

六角形の中庭

キリスト教時代の洗礼盤

その奥の大庭園に進む。最初は、バール神(シリヤのハダト神と同じ、豊穣の神)に捧げられた神殿が建てられ、ギリシャ時代、ヘリオポリス(太陽の都市)として、太陽神に捧げられた神殿に建て直され、 ローマ時代、ここに最高神ジュピターに捧げた神殿を建て始め、代々の皇帝により次々と建て増された。2世紀頃には、ジュピター、バッカス、ヴィーナスなどに捧げた神殿であった。
コンスタンティヌス時代、キリスト教が公認されると、神殿は、異端とされて、破壊され、教会に改築。
7世紀、イスラムの時代には、城砦のように改造され城壁がつくられた。
神聖な場所が再利用されている。神様も場所の神聖さにあやかるのか。
ともかく、重厚な感じのする遺跡である。
倒れた円柱は直径2メートルくらい。芯まで大理石(中に砂利をつめたのではない)。すごい財力だったのだろう。犠牲祭壇、いけにえを洗う所、とか、捌く台などがあってなまなましい。

入って中央奥、左手はジュピター神殿の柱

入って右手、まん中奥は礼拝堂

左奥にはバッカス神殿

礼拝堂、もともとはニッチ(くぼみ)には
皇帝像などが飾られていた

生贄の祭壇、 犠牲の動物を清める場所。
未完成、宗教がかわったのでそのままになった

ジュピター神殿のあと。柱の太さがよく分かる
こういう円柱を三つ重ねた

ジュピター神殿 高さ20メートルの柱六本が残るのみ 左の写真が神殿内側、右が外側

 

ライオンの口は
ジュピター神殿の屋根の雨水の排水口

バッカス神殿は、紀元150年頃のもの。瓦礫や蔦におおわれていたので現存するローマ神殿の中でももっとも保存状態のよいものである。幅36メートル、奥行き69メートル

バッカス神殿

 彫刻もみごとだ

バッカス神殿

バッカス神殿

バッカス神殿 キリスト教の教会に
転用されたこともあった

天井は落ちている

バッカス神殿 天井の彫刻

神殿周囲の回廊 

 ここは、セーターの上に、セーターをかさねて、コートを着て丁度よい位、手は冷たい。

遺跡を出た所でラクダが客待ち

3時30分、バス。

帰り道、アーモンドの花、ぶどう畑、黒い羊などを見る。
レバノン杉が二本だけ残っているところで、写真ストップ。

5時50分、ホテル着。

7時半、 ホテルで夕食。 ビュッフェ、前菜の種類は昨日とは違う。  おしゃべりをして9時に部屋に戻り、就寝。