4時半に目ざましをセットしていたが、支度をして外に出られたのは、5時半、丁度、日が昇ったところだった。
こおりつくような寒さだ。
少しアラブ城のほうに登っていって、写真を撮る。
ホテルの部屋に戻り、 ベランダがあるので出てみると、遺跡が見えた。外に出なくても、ここから、日の出が見えたのではないかと思う。
9時 出発、 まず バスで、墓の谷に行く。
パルミラは、、メソポタミアとエジプト、アナトリアから紅海への道路の交差点であったためBC1世紀から AD171年まで、約300年間、 隊商の通り道として栄え、ペルシャとローマの間でうまくやって、特別自治権を持っていた。
エラベル家の塔墓、103年に造られた最大のもので 地下と地上に4階あり 250の墓がある。
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山は苔が生えたようにうっすら緑で、羊がいた |
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両脇の桟になっている所にお棺を棚状にいれる |
天井のフレスコ画 |
三兄弟の墓、 146年に作られ、三兄弟の墓(彫刻がほどこされた、立派なもの)のほかに、分譲されてたくさんの墓がある。
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お墓の彫刻
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壁には本棚を横に並べたようにな棚があり、棺おけをスライドさせて、押し込むようになったいた。
ここには、すばらしい、フレスコ画が残っている。
ビデオを回しはじめたらカメラ禁止といわれたので、撮れなくて残念。
撮れなかったフレスコ画は 正面、上の半月形のところには、アキレスの物語。 その下には、なくなった人の顔が、メダイヨンにかかれ、それを支えているのが、ガイドの話によると天使というので驚いた。
ここはAD146年に造られていてフレスコ画も当時のものだという。まだキリスト教化されていない時期である。それでも天使によって、天におくられるのか?
その時に買った、小玉 新次郎 訳の解説書によると、支えているのは、勝利の女神となっている。
一体、天使の起源はいつごろだろうか?天使は旧約清書にも出てくるが、それは神の使いで、昇天を天使が支えている図で私が知っているのはもっと後の時代ではあるが、この頃から既にあったということか?
今回一番気になったこと。
横には、聖母子ではないが、子供を抱いた、婦人像の大きいのがある。
まだ、キリスト教絵画の聖母子像は、なかったのではないか。こういうものが、聖母子像のモデル かなとも思う。
ここの壁画はとてもそういう意味で興味深かった。
それから。バスで遺跡本体ともいうべきところに行く。
ベール神殿、
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生贄の祭壇、血が下に流れるようになっていて、
水を通して血が固まらないようにしてある |
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碾き臼
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ここはキリスト教の教会として後の時代に使われて、
そのときのフレスコ画がうっすら残っているのだが、
よく見えない |
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丸い菊の花は砂漠の花 |
周りには雷紋 |
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ベール神殿の塀のところから外を見ると、
まさにパルミラ、ナチメヤシの林 |
遠くの丘の上には駱駝がいた |
ベール神殿を出て勝利の門(ハドリアヌスの門) から町の入る。
列柱道路は1250m、真中は馬車道、左右に歩行者、
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勝利の門(ハドリアヌスの門) |
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トイレは、200m毎にある。(もちろん、今のでなく、当時の)
水道だけでなく、下水道も完備していた。
左の二つ穴があいているのが トイレ |
二世紀頃の水道管 |
ゼノビアの浴場、野外劇場、アゴラ、四面門
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2000人収容できる劇場 |
四面門 |
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柱の中ほどに突起状の台が見えるが
もとはここに色々な人の像が載っていた |
王妃ゼノビア像が載っていた柱の碑文 |
朝とちがって、ともかく暑い、恥も外聞もなく、スカーフをかぶった上に、帽子をかぶり、サングラスをかけて、歩きにくい石ころ道を、ひたすら歩く。
遺跡は苦手だと、つくずく思う。
12時50分 小さい博物館、
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マンサフ |
13時30分 やっと、昼食レストラン。
ホテル・ヘリオポリス の5階なので遺跡がよく見える。
メインは マンサフ 羊の肉をヨーグルトで煮込み、ご飯の上にナッツなどとともに盛り付けたもの
食後、ベランダに出てみると、川のようなものが見えた。
川ではなく塩湖だという。このあたりまで、昔は海だったのだろうか。
3時頃、ホテルに戻る、もっと歩く人もいる。本当に、今回はアウトドア派というか、足の達者な方が多い。
時間が丁度いいので、家に電話。イスラエルで、ハマスの指導者が殺されたとかで、とても心配していた。こちらは、のどかなものなのに。
16時35分 夕陽を見に、ミニバスで、アラブ城へ
標高450mのパルミラから。600mのところに登る(汚いバス)。15分ほどで、城砦のすぐ下へ、
ここは、17世紀オスマン朝の知事、フェクル・エド・ディーンによって150mの岩山の上に作られた城。下の方は、サラディーンのアイユーブ朝、12世紀のもの。十字軍の攻撃に備えた見張り塔。上の方は17世紀に造られた。
17時20分ころから、夕陽を待った絵葉書売りがきたので、買う。あとでこの熱心な売り手は、 城の番人(鍵を持っている)とわかって、みんな大笑い。
山のすぐ上に雲がかかっていて、山に入る夕日は見られなくて皆残念そうだったが、周囲が暮れていく光景は、なかなかよかった。
18時5分、ホテルに戻る。
夕食は、またホテルでビュッフェ。
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