アンマンは旧約聖書に出てくる町で BC300年ころ フィラデルフィア(兄弟愛) と呼ばれ、ローマのデカポリスの一つ。
5時15分 起床
7時30分 出発
7時45分 城砦に着いたが、まだ、開いてなかったので、先に砂漠に行く。
8時40分〜9時10分 クセイル・アムラ クセイルとは、アラビア語で、小さな城の意味。
ここは715年にウマイヤ朝のカリフ、アルワリッドが、巡礼(シリヤ〜メッカ)するときの休憩と、狩のために建てた小さな宮殿である。まず、井戸を見た。
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クセイル・アムラ |
井戸 |
控えの間、寝室、浴場などがある。壁には、フレスコ画、(裸の女性、動物、星座)が描かれている。
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はっきりしないが、この建物を建てている様子 |
狩りの図 |
ここへ行く道は、イラクに通じている。タンク車、イラクからアカバへ、コンボイを組んで行く。
ここから、200kmで、イラクだそうだ。 この旅行から帰って数日後日本の若者三人がイラクに拘束される、という大事件が起こったが、彼らはこの道を行ったのだろう。
9時30分〜50分 アズラク城
アズラクとは、青い、という意味。
城に使われた黒い玄武岩は、割ると中が青いのでこういう名になったそうだ。
この城は隊商の道の一つでAD1世紀にローマ人が要塞を築き、イスラム人が再建。
20世紀には、アラビアのローレンスもここに滞在した。
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ロレンスが暮らした所 |
11時から1時50分 アンマン
城砦が、昔のアクロポリスで小高い丘の上なのでここから、アンマンの町や、国王の宮殿が見えた。
ヘラクレス神殿AD2世紀、柱が残っているだけ。右手に劇場が見える。
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ヘラクレス神殿の跡 |
劇場とアンマンの白い町 |
考古学博物館 規模は小さいが見ごたえがあった。うれしいことにここはカメラOKだった。発掘したヨーロッパ人に持ち帰られたものも多いとはいえ、さすが現地。中東はどこも博物館の所蔵物が素晴らしい。
1947年に発見された、死海文書(旧約聖書をアラム語で書いたもの)があった。
文書がはいっていた、壷も置いてある。
ナバテア人の陶器の棺。
人頭が、上に両側から突き出している、石の彫刻が、興味深かった。
面白いと思ったのはBC6500年ころの人物像?神様?
また、アクセサリーもきれいなのがあった。ピアスやネックレスなど今でも使えそう。
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ナバテア人の陶器はとても薄くて高級だったそうだ。 |
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これはイスラム時代のもの |
西へ向かう。 この道は、イスラエルのエリコに通じている。いつか、平和が訪れたらイスラエルにもいってみたい。このあたりの地名は、聖書や、賛美歌にでてくるので、なんだか 胸がさわぐ。
ヨルダン渓谷は、12時30分 sea level で、写真ストップ
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さらに下ると死海が見えてきた |
12時55分〜14時20分 海面下390mの死海
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浅いところだが、これでも浮かんでいるのです |
水着に着替えて、浮遊体験。
70cmくらいのところ、しゃがむと、足がぱっと、浮き上がる。
添乗員さんに、写真をとってもらう。少し、深いほうに泳でいくと、水が重くて泳ぎにくく、足を下ろそうとするとおろせない。あわてて、少し浅いほうに戻って、手をつくようにして、立ち上がる。
もう少し長く浸かっていたかったが、皆さっさと出てレストランの方にいくので仕方なくシャワーをあびる。
デッドシースパホテルのレストランで、ビュッフェ。
デザートハイウエイで、南へ、
16時10分から6時40分 ケトラーナ で、トイレストップをかねた休憩、
ここは、死海グッズのお店。店の人にかごを持ってくっついてこられたので、泥パックやバスソルト、死海石鹸、ベドウィンのドレスまで、ほいほいかごにいれてしまい、いっぱい買ってしまった。
(昨日ホテルで2万円 両替したのを、殆ど使ってしまった!!)
デザートハイウエイを更に南へ、途中、マハタットからキングスハイウエイにはいり、
18時40分 ペトラ着。
ホテルの部屋は抽選で、岩山の見えるほうがあたった。でも部屋は狭い。
今日は、混んでいるとかで、すぐに夕食。ツアー客でレストランは満席。
レストランは、ロビーの外に出て、テラスを通っていくのだが、岩山がせまっていて テラスには、プールもあり、気持ちがいい。
こういう時友達とでも来ていると、ここでゆっくりおしゃべりできるのに、と思いつつ食後はすぐ部屋に戻る。、
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