12日目

3月27日  

ペトラ


終日 遺跡観光
ペトラは、ギリシャ語で『岩』の意味。        この地の歴史

旧約聖書には、セラ という名ででてくる。(BC11から10世紀)
BC6世紀ころから、西アラビアから ナバティア人がやってきて、通行税をとって栄えた。
彼らはアラビア語を話し、アラム語を書くセム系で、美術・建築は、ヘレニズム。天然の砂岩に彫刻をした。
ナバタイ王国として、栄えたが、AD106年に、ローマ帝国に併合され、浴場、劇場、列柱通り など 町はローマ風に作り変えられ、、363年の大地震のあとは、滅びていった。
7世紀には、イスラム教徒がやってきたが、749年に大地震があり、長くは続かなかった。
12世紀には、十字軍も砦をつくったりしたが、サラッディーンに追い出された。 その後は忘れられて、1812年スイス人探険家によって発見された。

 

 

 


  

 

ホテル

ホテルのテラス

8時 出発、泊まっている、クラウンプラザホテルは、遺跡の入り口のすぐそば。
先に郵便局に行って、切手を買って葉書を出す。
オベリスクの墓やナバテア人のダム (1962年まで、水があった) を見て、シークへ(ここまでで約1,5km)

オベリスクの墓 オベリスクがあるのでこう呼ばれる。
四つあるので四人埋葬されている
下は葬祭殿
いよいよ、シークの入り口
ここには昔は入り口の戸がつけられていた、
という説明を聞いている所。

シクは崖の高さ、60から100m、距離は1216mで結構長い。岩は鉄分を含んで、きれいな赤い色。銅、マグネシウムも含まれている。これは何億年か前は海であったことを示している。縞模様の崖に囲まれ、道はひろがったり狭まったり、岩の形の面白さに見とれているうちについつい、おくれてしまう。

天然の無花果 馬車で行くこともできるが、ガタガタ道なので
かなり揺られているようだった

途中にはナバテア人にとって重要な神である ドゥシャラ神の偶像も、祀られている。
左がドゥシャラ神殿、崖の丸い穴が生贄の祭壇で、左に線が見えるがこれは 血が流れるところ

シークに入って30分、まだかなあ、              「さあ、みんな目をつぶって左によって」

決定的瞬間エルハズネがすきまから見えた。
丁度この時間が、朝日があたって一番きれいに見えるときだそうだ。

 

まさに『インディージョーンズ』のあの場所だ。でもあまりにも、聞かされていたせいか、もの凄い感動、というわけではなかった。


この エル・ハズネはナバテア王、アリタス三世によって建設(BC3) された。 
内部にはなにもないが、白、赤、肌色のきれいな縞もようになっている。水をかければ、もっとあざやかなのであろうが、少し粉を吹いたように見える。
手前の地下には、(4ヶ月前に発見されたばかり)同じような建築物があり、網で覆って中が見えるようになっていた。

内部の壁

地下遺跡

しばらく写真を撮って休んで、また歩く。
途中で、瓶に色々な色の砂をいれて、らくだなどの絵をかいたものを『サンドボトル』売っていた。今頼むと 帰りまでに、名前をいれてくれる、というので注文した。一番小さいので、5ドル

色々な砂を詰めていく

日本にもち帰っても崩れてなかった

岩窟墳墓群、 劇場(BC1Cナバテア人が宗教的な儀式用に建設。ADCローマ人が劇場に改築。岩を削った座席は、2000人分。そこを出て、すこしいったところで、トイレ休憩。
 
 高い岩に彫られた墳墓群。アーンの墓、シルクの墓、コリント式墳墓、宮殿の墓、

左から、宮殿の墓、コリント式墳墓、シルクの墓

左手の丘の上から、列柱通りを見ながらおりて、フォーラムレストランへ。
11時30分   ここでトイレ休憩して疲れた人はここで待つよういわれたが、全員、エド・ディルをめざす。
いい加減くたびれていたが、やはり折角ペトラにきたからには、頂上まで行きたい。
でも、本当に苦しかった。のぼり道で息がきれるうえともかく暑い。
だらだらと幅の広い階段(800段)や、坂を登る。私は一番後ろになってしまい、前の方が休んでいるので、あそこで休憩かと思うと、私が着いたころには、もう出発している。
ロバにも乗れるのだが落ちて死んだ人がいるので、絶対に乗らないようにいわれたが、死んでもいいから、乗りたいと思ったほど疲れた。途中、少し横道に入ったところには、ライオンのトリクニリウム(葬祭殿)

拡大するとライオンがもう少しはっきり見えます

一時間くらいかかって、なんとか、エド・ディルに到着。見て感動というより、やれやれ、これで休める という思いのほうが強い。我ながら情けない。
エド・ディル は高さ45m、幅50mで、下のエルハズネより大きい。AD1世紀中頃建てられたナバティア人の神殿だが、4世紀にはキリスト教徒が教会につかったので、モナストリーと呼ばれるようになった。

エド・ディル 丸と冠がナバティア様式の特徴

ところが、皆さんさらに先のアロンの墓まで行く、という。冗談ではない。
 でも、皆に渓谷の眺めが素晴らしいからといわれて、仕方なく、少し、登る。皆はそこから、さらに登り、反対側を回っていく。でも私はやめにして、お墓の岩山の見えるところで休む。
とがった岩山が連なり、素晴らしい景色。
ベドウインの少年がよってきて「ギフト」といって、黄色い小さな菊のような花を差し出す。
受け取ると、今度は、縞模様の石を「ギフト」と言って差し出す。受け取ると、もじもじしながら「ワンダラー」、魂胆はわかっていたが、たったの1ドル。別にあげてもいいような額なので、1ドルわたす。そうしたら、横に座りこんで、 写真をとれ、という。観光客のをいろいろ見ているから、撮ったものがすぐ液晶画面見られる事は知っているそれが見たいらしい。

渓谷

石売りの少年

それで、山を撮ってみせると、勢い込んで山の名前を教えてくれた少年の写真をデジカメで撮ってみせてあげると大喜び。年は6歳という。なかなか賢い子。観光客を相手にしているせいか、英語が分かる。「家は何処」と聞くと向こうを指差す。「あなたのお母さんは何処?」と聞くと指さした先にはちゃんと母親がこちらの様子を見ている。子供に売らせた方が買ってくれるから、子供に商売させているのではないか、と思った。
それにしてもこの子にどういう未来が待っているのだろうか。頭脳にみあった職業につけるよう、ちゃんと教育されるといいのだが。
そうしているうちに、アロンの山にのぼっていた、Sさんご夫妻が戻っていらして、おふたりのカメラはポラロイドにもなるので、できた写真を少年にあげると、大喜びしていた。
 今度の旅でとても印象に残ったできごと
疲れもとれたので、戻ることにした。
おりるのも最後になってしまった。のぼりは苦しくてあまり景色もみられなかったので、ゆっくり、ビデオをまわしながら、おりていった。、いつのまにかSさんもみえなくなった。
道は分かってはいたが、念のため、物売りに道をききながらおりた。買わなくても、皆親切に教えてくれる。
レストランに到着したのは一番ビリで皆さんそろそろ食事が終わるころだった。
つよくないから、と薦められたので、ビールを頼む。焼肉、ビュッフェ
 ゆっくり、やすんで、ホテルへ、朝の道を引き返す。サンドボトルを、もらうのを忘れて またもどったりして、くたびれた。

列柱通り 客待ちの駱駝

シクをでたところで、馬に乗る。はじめての経験。足がちゃんとつかないので、不安定で怖い。3ドル、というのを2ドルと言ったせいか、途中でおろされて、またどっと疲れがでる。K夫人、S夫人と一緒。暑いので缶ジュースを買って飲みながら帰る。 着いたら、もう5時。くたびれはてた。
お風呂
ホテルで、夕食ビュッフェ 
おお、今日は おそうめんサービスの日だった。疲れた体につるつるっと入って、美味しかった。