今日はフリブールからグリンデルワルドまで移動の日だが少し遠回りをしてロマネスク教会のあるパイエルヌに立ち寄りの予定。そのため乗り継ぎの多い一日になる。
駅でスーツケースを一つライゼゲペッケにして身軽にして列車に乗る。(今 ガイドブックを見ると当日には荷物がつかないようなことを書いてあるが当時は当日に着いた)
フリブール発9時04分 パイエルヌ着9時29分
教会まではさほど遠くはなかったと思う。後陣が見えてくる。
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塔は ゴシック、上の尖塔は さらに新しく1605年 |
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軒下に支えのようなもの(コーベル)があり、 そこに 動物の顔などの彫刻がある。
こういうのはロマンモティエでも見た。その後ロマネスクの教会ではよくみかけることとなるのだが、 当時は初心者でとても興味深くながめはしたが写真をちゃんと撮っていない。今行けばきちんと写真を撮ったのに、無念に思いながらこのホームページを書いている。 |
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後陣、を左にまわると碑があったが、 残念ながら読みとれない。
さまざまな石を使って建てられているところに歴史を感じる。(中央は 人を消した跡) |
パイエルヌ修道院教会 Abbatiale de Payerne, monument national pour tous. (abbatiale-payerne.ch)
Commune de Payerne Abbatiale
7世紀には存在したが,パイエルヌTという現在の教会のもとになっているものは960年〜970年にかけて造られた。
現在の後陣などは主に11世紀のものでその後手は入っているが、しっかりロマネスクが残っている。
16世紀宗教改革のころ軍の兵舎兼物置に使われ余分な飾りが取り払われたとかで非常にすっきりしていて天井のトンネルボールトなどまさにロマネスク。天井が高くて明るい感じの内部だ。
交差ボールトになっていないので、壁が横に張り出して崩壊するおそれがあるからだろう、アーチの付け根あたりに鉄棒を渡してあったのがちょっと興ざめ。うっすらフレスコ画も残っている。(内部の写真がないので 買ってきた小冊子から、この写真には 鉄棒などはない)
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1200年頃の壁画 |
祭壇(交差部の間違いかもしれない)の柱頭彫刻が 面白い。紋章の彫刻も多いとメモにはある。
狭い木の階段をあがっていくとサン・ミッシェル礼拝堂があり、そこに柱からはずされた柱頭飾りが置かれていた。(当時はただ壁際の床におかれてあるだけだったが、最近いらした方のお写真だと、台に載せられたり壁にとりつけられたりしてきちんと展示されている)
柱頭彫刻がともかく実に面白い。顔、顔、顔、ロマネスクというよりプレロマネスク、プリミティブなものだが愛嬌があって実に楽しかった。
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左はペテロ 右は キリスト |
三つ頭の怪物、もしくは 三人を抱いている |
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それからトンネルのようなところをくぐって行った石畳の中庭がとてもすてきだったが、 今となっては教会のどの部分から行ったかなどは 全く覚えていない。
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当時は レストランかな、という雰囲気だったが、ここが現在のミニ博物館?
柱がとれたのため色々な石が積まれている。いかにも古そうなのがいい |
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教会を出て駅に戻ると 角のレストランがそろそろ店開きをし始めていた。
ここはヌーシャテル湖に近いので魚料理が美味しいとガイドブックにあったがゆっくりするひまはない。駅に直行。
11時40分発の電車に乗る。
途中アヴァンシュを通過。アヴァンシュは紀元2世紀 ローマ帝国の属領としてスイスの首都だったという町。列車の窓からローマ遺跡らしいのが見えた。時間があれば途中下車したいところだ。
ケルツェルス出乗り換えてベルンへ ベルンで乗り換えてシュピーツへ
シュピーツ 13時57分着
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駅前から お城が見える |
ここの駅のレストランで遅い昼食 トマトスープ、 グリーンサラダ パイナップルクリームあえなどを食べたというレシート(31.9SF)があったが記憶になし。
グリンデルワルドのホテルは グレッチャーガルテン
Hotels Restaurants Grindelwald Hotel Gletschergarten Bern Berner Oberland Schweiz Switzerland Tourismus
駅からは 少し距離がある。教会がすぐ前にある。
ここに ロンドン留学中の娘がきて合流することになっている。最後の一週間は三人旅。本当はもっと長く一緒に過ごしたいのだ ピアノ専攻なので長くピアノから離れるわけにはいかないのだ。
我々が着くともう娘は着いていて付近を散歩しているようで、しばらくすると戻ってきた。
お部屋は三人部屋を予約してあったのだが、 とても広い。ベッドも特大ならソファもビッグサイズでゆうに四人は掛けられる。
ただお部屋は広くてもバスルームは一つなので少し不便ではあった。
アイガービューのお部屋を指定しておいた。山はいっぱい見えてどれが何山だかよくわからなかった。
このホテルはハーフペンションと言って 朝、夕食付き。白ワインのファンダンをのんだということしか日記には書いてない。
このホテル、当時はファミリールームというのもあって(スイスのホテル、とくにここのようなシャレーホテルにはよくある)家族連れが一部屋に泊まれるようになっていた。
このときも日本人四人家族がいらした(多分ヨーロッパのどこかの駐在員一家、当時は日本から小学生の子供連れでスイスというのはあまりない時代)。四日間滞在したが、この家族とか いつも黒いスーツを来て現れる年配の女性、などメニューの記憶はないのだが相客の顔や様子は不思議にも思い出せるものなのだ。
こういうさして大きくはないホテルの固定客とのお食事は(会釈程度でお話しはしなかったが)くつろげていいものだった。
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