18日目

グリンデルワルド〜インターラーケン〜トゥーン〜サントュルサンヌ

8月13日(火)


今日は移動日
グリンデルワルド850分発〜インターラーケン・ウエスト(936分発)〜(船)〜トゥーン1133分着

実を言うとこの時間はあやしい。 インターラーケンで乗換の時間があまりないのでシュピーツまで行って船に乗るプランもメモには書いてあるが、実際には少しインターラーケンの町を散歩しているので もう一電車早く出たのかもしれない。
 
 アーレ川
 
旧市街
 
 アーレ川の堰
遊覧船に乗る。
 
   
 
 
 
 シュピーツのお城が見えてきた
 
 シュピーツ
途中、 かわいいお城や教会がつぎつぎ現れる
 
 
 
 
 
 シャダウ城
 
 トゥーンの船着き場へと進む

トゥーン
しばらく町を見物。
通りが変わっている。二階建てになっていて一階部分の屋上と言った感じのところにも歩道がある。あがったりおりたりしてみる。

 
 お城が少しだけ見える
 
 市庁舎広場

お城にも行ってみた。

 
 買ってきた小冊子の表紙
 
 お城からの眺め
 
 お城からの眺め 白いのは幟がはためいている

1194年に建られたツェーリゲン公のお城で、屋根はベルンの支配時代(1384年以降)に付けられた。武具やタピスリーなどの展示があった。タピスリー(もしかしたら記憶違いで昨日のシュピーツのお城かもしれないが)の図案に正倉院の古代裂にありそうな鳥が向かい合った柄があってお面白いな、と思った。
この当時は何も知らなかったのでこういう感想を持ったが、今当時のパンフレットをみて、面白いことを発見。
福音書記者を表わす鳥、ライオン、牛、人 に囲まれて≪栄光のキリス≫トが描かれるはずの場所になんと騎士がいる。このお城の主なのだろう。なんと不遜な!!鳥も古代裂風とはちょっと違う。

 
 中央、本来なら キリストの居るべき場所に騎士がいる

昼食の時間をカットして観光したので、サンドイッチを買って、1419分発の列車に乗る。6人用のコンパートメントに三人だったので気兼ねなく食事ができた。 

ベルン、ビエール、ドゥレモンで乗換。待ち時間はベルンでは17分、ビエールでは7分、ドゥレモンでは5分、出発のアナウンスなどなくて、乗ってやれやれと思ったらもう動きだしていて、間に合ってよかった、と胸をなでおろしたところもあった。

こうしてサントュルサンヌ の駅に着いたのが1622、 
駅は高いところにあり、村は谷底。坂を下りることになるが、バスが列車に連絡して運行しているのでそれに乗る。我々以外は村の人。今日泊まるドゥミ・リュンヌ(半分の月、という意味)というホテルの場所を確かめていると、先に降りた人が指差してそれとなく教えるふりみたいなことをしてスタスタ行った。東洋人に教えるのがちょっと照れ臭かったみたいだった。

 
 上写真は買ってきた案内書から。
これだけの本当に小さな村。下左三分の一くらいのところ 塔らしきものが見えその下が黒く、くり抜かれている、。ここがこの村の入り口であるサン・ピエール門。バスはここをくぐり抜けて右まんなかより少し上の広場に着く。広場の右が教会。 
広場を左に折れ橋に向かうと今日のホテル、ラ・ドゥミ・リュンヌ

サントュルサンヌという村はガイドブックによると人口900人、でも900人もいるのかしら?と思うほど小さな村。バスが通ってきた門、サン・ピエール門から出口のサン・ポール門まで5分くらい。本当に小さな村。200年くらい昔から変わっていないらしい。中世が置き去りにされている、という風情だ。(200年前だと近世ということになるが)

 Hotel  http://www.demi-lune.ch/hotel.htm
ホテルのホームページ発見 左から二人目の女性がオーナー夫人、懐かしい。 リニューアルしているが私たちが泊まったのは7の部屋だ。

ホテルは旅籠という感じで、川に沿って橋のたもとに、橋をまたぐように建っている。三人と言ってあったのでスイートルームに案内された。リビングにベッドが一つ、寝室にはダブルベッド。どちらの部屋も広く、バスルームにはシャワーブースが別に設けられている。

  
リビング(右奥にシングルベッド)
   
寝室には ダブルベッド  
   
バスルームも豪華  

一息ついて外に出る。
サントュルサンヌ (聖ウルサヌス)という人はアイルランド人修道士。
6世紀終わりごろから7世紀にかけて聖コロンバヌス一行は大陸に伝道にやってきた。ガルスはザンクト・ガレンに庵をむすんだが、ウルサヌスは610年頃にジュラ山中のこの地に庵を結んだので、この地はサントュルサンヌと言う名なのだ。この村で見るべきものは教会だけ。
コレヒアル教会Eglise collegiale 

 
 
  

見るべきは南扉口。12世紀のもの、ロマネスク末期。

  
  
 
  
   
 左ニッチの聖母子  右端の柱頭

うっすら、というよりかなり彩色のあとが残っている。タンパンには栄光のキリストとペテロとパウロと天使たち。キリストの足元で跪いているのは、聖ウルサヌスかまたは寄進者。

タンパンの両脇のニッチには 聖母子と僧幅姿の聖ウルサヌス。
このマリア様、膝がまるで椅子のよう。写真で見ると顔は面長だが、現地では見上げたせいか、丸顔で田舎娘のように見えた。
カルチャーセンターの講座でマリア像が教会正面に現れるのはゴシック期ときいた。(EX。シャルトル)これも後期ロマネスク〜ゴシック期にかけての作品とあった。この扉口はバーゼルのカテドラルに似ているそうだ。

こういう椅子のようなマリア様はこの時点で私は多くみていなかったが、現在考えてみると、後にスペインで沢山見た木彫りの聖母子像に類似していると思う。

柱頭彫刻は 写真でははっきりしないが、福音書記者が向かって左側に彫られている。

アーチと 軒の間の壁には絵が描かれている。狼かとおもったが、羽もある。ドラゴンのようだが可愛い。口から草を吐き出している。上中央の鬼みたいなのも口から唐草をはきだしている。 グリーンマンだ。

教会内部は一部 ロマネスクものこっているようだが、殆んどゴシック。13世紀後半から14世紀にかけてのもの。祭室部分は12世紀ロマネスクだが、置かれている調度は18世紀のもの。修復中で修復師が柱に色をつけていた。

 
 

回廊は1380再建されたもの。まごうかたなくゴシックだが人気のない回廊は大好き。 
しかし何か行事でもあるのか、柱と柱の間
(窓のように開いているところ)に赤や青の色ガラスだかプラスティックの板だかをたてかけてある。回廊から赤や青の中庭を見るなんてとんでもない。 興ざめした。

このページ写真がかなり多くなってきたので、 回廊と町の風景は翌日のページに載せます。

夕食はホテルで。ここはグルメレストランでお食事だけにもわざわざくるところだそうで美味しかった。
主人と娘はそれぞれ トラウトとサラダ、 私は鮭の照り焼き、ソースにバルサミコをつかってあるのか、少し甘めで美味。デザートのクレープアップルもおいしかった。
(合計155.7SF) なおこのスイートルームのホテル代は 240SF。