晴
夜中、クーラーを切ることができなくて、少し寒かった。 カーディガンを持ってきていてよかった。1時半には 目がさめ、その後殆ど眠れなかった。日記を書くなどして4時前には本格的に起きてしまった。
6時30分 朝食
レストランが カフェ風ですてき。
お席をご一緒した方は一人参加で 以前この会社のイギリスロマネスクに参加されたことがおありだそうだ。
その後分かったことは この方とは別時期にイギリスロマネスクのツアーに参加された方が4人(申し合わせたのではなく 空港で あらっ! だった由)。 フランスロマネスクでご一緒だった方というグループもいらして、こちらは今年こそカニグーを成立させたいと申し合わせ、それに他のお友達もさそって7人、このグループの存在なしでは成立しなかったことになる。他にも「あなた、あの時スペインで、、」といった具合で。最初から気やすくおしゃべりできる雰囲気だ。逆にロマネスクファンというのは限られた人数しかいないのだ、ということを思い知しらされもした。
8時 荷物出し
8時30分 バスで出発
8時45分頃 キャナル・ドゥ・ブリエンヌの横を通る。市内は渋滞していた。
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キャナル・ドゥ・ブリエンヌ バスの中からなので 青くなっている |
9時頃 バスをおりて少し歩いてサン・セルナン教会へ。この教会に来るのは三回目(95年と99年)。前二回とちがって、後陣側から教会へ向かった。後陣前広場には大きな 菩提樹。
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サン・セルナン教会 後陣 左は 菩提樹 |
サン・セルナン教会 Saint-Sernin http://basilique-saint-sernin.fr/
古代、初期中世にも教会がここにあったことは知られているが、現在の教会は、1080年頃からクリプトの整備が始まり、1096年、1119年、祭壇の奉納式、身廊などの建築が進められ、12世紀前半にはほぼ完成、鐘塔は13世紀。
トゥールーズはバラ色の町、と言われているが、それは良い石が近くでとれないので、建物が煉瓦で作られているため。間の白い石はピレネーからガロンヌ川を船で運んできて陸は牛にひかせて、持ってきたもの。そのためとても高価でたくさん使うことは出来なかったそうだ。
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後陣上部の拡大 |
まず南側 前には気がつかなかったがGoogleのストリートヴューで面白いものをみつけたので丁寧に見ていく。
袖廊のところにあるLa porte de Comtes(伯爵の門)
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伯爵の門 |
柱頭彫刻 |
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左、アマレクとの戦いの時、 モーゼが 手をおろすと、 アマレクが優勢になったので、
アロンとフルが 側から日没までモーゼの手をあげさせている。 |
左は ラザロの魂を運ぼうとしている天使、 右は 金持ちとラザロ |
その横に古代の石棺などが置かれている
また壁には古代の石棺の断片が嵌め込まれている(先の教会の周辺にあったらしい)。
これに気を取られているうちに一行は一番の見どころであるミエジバル門(Miegeville)に行っている。
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この門をくぐると奥に ミエジバル門 |
ミエジバル門 |
タンパンにはキリスト昇天図が刻まれている。(1110年~1115年) 下の楣石には 12使徒
楣石の下左には竪琴を持つ ダヴィデ王 、右には ライオンの頭を抱えた味不明な二人。 足が片方は靴を履いていて、片足がはだし。
両隣のヤコブ(向かって左)とペテロ(右)や柱頭も洗われて随分白くなっている。
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ヤコブ |
ペテロ |
大ヤコブ 上には唐草にとらえられた二人、下のは 男がライオンの頭を抱える二人の女の頭を引き寄せている。
ペテロ 右手で祝福を与え左手に天国の門の鍵を持っている。下にはシモン・マグス (魔術師シモン、ペテロの敵対者で二人の悪魔に支えられている)
上では天使に冠をかぶせられている。
以前はこのタンパンに注目していたが、今回は余裕をもって柱頭なども見る。
左に 嬰児虐殺、お告げ、御訪問、右は 蔦に絡まれたライオン、原罪(アダムとイヴ)
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嬰児虐殺 |
アダムとイヴ |
軒下の持ち送り彫刻彫刻
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中央は男性、右は女性 傑作として知られている |
この扉口から中に入る。五廊式、身廊の高さは21m、長さ115mという大規模な教会だ。
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平面図 五廊式
1が伯爵の門、 4がミエジバル門 9から17まで祭室 |
トゥールーズはフランスからサンチャゴへ向かう四つの巡礼路のうちの一つ、アルルの道 の中継地なので、多くの巡礼たちがここに集まったのだろう。そのため放射状祭室がついている。ミサ中で周歩廊には入れない、ということで、ざっとみただけで出るたが、 ここでは あとで見た壁画や周歩廊の彫刻もまとめて載せておく。
左袖廊にうっすら残る 壁画
1180年頃に描かれたもので、キリスト復活サイクル
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上は 栄光のキリスト、両側にマリアと 洗礼者ヨハネ |
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2,3段目拡大 |
墓参りに来た三人の聖女が空の墓を示している天使にであうところ、その上は予言者(エレミアとイザヤとパンフレットには書いてある)がキリスト再生を崇めているところ その上が栄光のキリストで 両脇にマリアと洗礼者ヨハネ
天井には 神の仔羊
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中央に 神の仔羊 |
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それから 周歩回廊へ
ベルナール・ギルダン工房で作られた栄光のキリストなどのレリーフを見る。
天使と使徒たち。99年にも観たが、記憶より小さい気がした。
品のいい浅浮彫、 使徒や天使の目が かわいい。
使徒や天使たちは アーチの中にはいっている。 こういうスタイルを オム・アルカード という。 |
そうして クリプタにおりて宝物を観た。1200年ごろ造られた 真の十字架を収めた聖遺物箱。
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中央 キリストの下のエマイユの聖遺物箱が真の十字架を収めた箱
1200年頃のリモージュ製 |
クリプト風景 |
2度目は25分の滞在だったのでモタモタしているうちにすぐ時間が過ぎてしまった。天井が高いので見難いが柱頭などもゆっくりみたかった。
昼食の予約時間がせまっている、というので、直ぐ出ようとするのを、ちょっと待ってもらって、少し写真をとったが、撮りたかったものの場所がはっきりせず、目的の物は撮れなかった。(本日はこのあと長距離移動)
あとで Kさんが「聖餐台の彫刻を観なかった」とぼやいていらした。私は前に観たが(19年前)その時は確か正面奥、すぐそばで見た記憶がある。
今回はそこが、ミサをやっているとかで入れなく二度目にいったときもそこへは行かなかった。今はどこに置かれているのだろう。
今度はトール通りをカピトル広場に向かって歩く。ノートルダム・ド・トゥ教会、を眺める。
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? 途中で見かけた |
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途中、右手に すみれグッズのお店があったはず、みつけたら、パッと何か買おうと思っていたら(トゥルーズはスミレで有名、すみれのオード・トワレ、石鹸、すみれの柄の小物類などがある)現地ガイドさんが、みんなお店に行きたがると思い込んでいらっしゃるようで「時間が早すぎて、お店がまだ開いていないようですね。途中インフォーメーションに寄るので、少しそこで買えますよ」
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ノートルダム・ド・トゥ教会 |
トール通り(むこうに サン・セルナン教会) |
カピトル広場 向こうに95年にきたときに泊まったホテルが見える。広場には大きな十字架マーク
下右の紋章で羊の上にあるのがオクシタンクロス、大きすぎて全体の写真が撮れなかったが これが広場に描かれている。
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かぴとる広場 94年に あの クラウン・プラザに泊まった。 |
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トゥールーズという町について
町を流れる ガロンヌ川は 大西洋とつながっていて 地中海、スペインとのつながりもあるため、古代ローマ時代から交通の要地として栄えた町。
413年、西ゴート族がこのがトロザ(トゥールーズ)に侵攻し、415年この王国の首都としたが、507年のヴイエの戦いでクローヴィス(フランク)に負け、西ゴートは徐々にフランスでの力を失い、560年にスペインのトレドに首都を移した。(つまり、今夏の旅は去年の カタルーニャ・イ・レオンの旅と 歴史的に多いにつながりがあるのだ)
その後、フランクは支配力を失い、 7,8世紀には暫定的にトゥールーズ王国となるほど、領土を拡大していったが、721年にアラブ軍に敗北。 しかし独立状態は維持していた。
12,3世紀にカタリ派が 南フランスでは広く信仰されてていたのだが、1209年にはアルビジョワ十字軍による征伐が起きた。これを機にトゥールーズ伯領は衰え始め、
1271年、最後のトゥールーズ伯の死により、トゥールーズ伯領はフランス王領へ併合され、フランス領ラングドックの一部となった。
1560年 宗教戦争の時代、、トゥールーズのプロテスタントとカトリックが血で血を洗う抗争を繰り広げたが、17世紀にカトリックの勝利が確定し、カトリックの修道院や教会が数多くトゥールーズへ移ってきた。親カトリック派は宰相リシュリューが権力を握る王政と敵対し、ラングドック総督であったモンモランシー公アンリ2世(コンデ公爵夫人シャルロットの実弟)は乱を起こし、捕らえられて1632年にキャピトル広場で処刑された
市庁舎の建物を抜けていくと、処刑のあと、
そのあと公園を通った。このあたりに草が生えた城壁の跡があったはず、と思いながらあるいていると、最近の改修で ローマ遺跡が撤去されて、残念、とガイドさんが言っていた。市長が変わると町並みの改変がおこなわれ、変わったと思うと元に戻るということもあるそうだ。面白いことにトゥールーズという町、国の大統領とは反対の党が市長に選ばれるのだそうだ。(独立の気運が高い?)
監視塔があったところに 観光局があり、そこでしばらく買い物。それから 5,6分歩くとオーギュスタン美術館。 (そのⅡに)
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