4日目

そのⅢ

~エルヌ~ペルピニャン



(15時コリウール出発) 1525分 エルヌ(Elne着 風が強い。 
教会は丘の上にある。
この町は キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス一世の母エレナに由来する。(カストゥルム・ヘレナエから) 町そのものはローマ時代以前にもあった。
城壁沿いの道を歩き、少し町中を通って教会へ(さほど登りはきつくなかった)

 
 

サントラリー大聖堂 (Cathedrale Ste-Eulaliehttp://www.monestirs.cat/monst/annex/fran/lleng/elna.htm ここで 写真が豊富にみられます。
1056年竣工
入口は10世紀  ,右は10世紀
(こうメモにあるのだが、1056年竣工に矛盾する。しかし、この教会が最初に言及されているのは861年と上記サイトにあるので深くは追及せず、このままにしておきます) 
左の塔は
12世紀(これもメモ通り、もうすこし 後代かもしれない。確認しようとあちこち検索したが、 年代についての記述がみつからないので このままにしておきます)

   
   

この大聖堂で見どころは回廊の彫刻、 回廊への入口は 後陣側にある。 ここのテラスからはピレネーが望める。

 
 

ロマネスクファンにとって、エルヌの回廊は見たい回廊のベストファイブには入らないと思う。 
しかし私がまだロマネスクをよく知らないころ、ヨーロッパの教会の写真がみたくて買った 『ヨーロッパ教会物語』渡部雄吉 グラフィック社 に、このエルヌの教会が出ていた。モアサックがほんの少し出ているだけで、ほかには回廊の写真がこの本にはなかったせいか、 回廊=エルヌ ということが刷り込こまれてしまって、(この本を買ったのは 93年らしい)その後20年の間に 数多く「回廊を見たのに、何としてもエルヌに行きたかったのだ。 
あとで書くが、クオ・ヴァディス の彫刻の写真もこの本に出ていた。 

中庭は少し大きめ。(私はもう少しこじんまりしているのが好き)でも 赤いバラ、紫のラベンダー、アカンサスが 咲いていて綺麗だ。

 
 

回廊は 教会に隣り合う南には12世紀第三、四半世紀の柱頭彫刻
まず一番見たかった クオ・ヴァディス
クオヴァディスの話は 新約聖書ではなく 外典の『ペテロ行伝』にある。
ネロによる迫害が 頂点に達したとき、仲間のキリスト教徒たちの勧めもあってペテロは ローマから去った。途中のアッピア街道で、彼はキリストの幻に出会う。ペテロは尋ねた。「主よ、何処へ行かれるのですか。」
(Domine,quo vadis?」すると(私は十字架にかけられるため、ローマに入って行く」という答えが 返ってきた。ペテロは これを 自分がローマに戻り、自らの殉教の備えをすべきことを意味していると解した。
(西洋美術解読事典より)

 
 クオ・ヴァディス
   
捕らえられたペテロ 

西と北は 13世紀の第一、四半世紀  
西側ギャラリーにも クオ・ヴァディス があった。微妙に違う。

   
 この柱は ペテロの物語になっているようだ 

北側ギャラリー

   
 ダビデの星があった  
   
   十字架降下

途中で 教会内に入る。

   
   8世紀の洗礼盤

 
 
   
   

再び回廊に、

石棺が置かれていた

 
 4世紀末から5世紀のアキテーヌ派の石棺
   
   


東の柱頭彫刻はは
14世紀のもの。

   
 受胎告知,エリザベトご訪問 マギへの天使の知らせ 嬰児虐殺
   
エジプト逃避      左は 聖母の死?         右は 多分 我に触るな(左が マグダラのマリア) 

ちょっと え? と思ったのは、 上左の彫刻。 これは マリアの亡くなったところで、 東方絵画では 聖母の死は 聖母の御眠り、と言われ、キリストがマリアの魂(子供の姿で表される)を抱いて天に連れていく、というスタイルをとる。西方では ルネサンス絵画によく見られる 聖母被昇天、というスタイルである。  聖母の御眠りのスタイルを取っているのは 東方的だと思った。この時代は こういう 描き方をしたのだろうか

1650分ごろ 教会を出て、来たときとは違う急な坂を下ってバスのところへ

   
 途中で見かけた花  

実は私はこの日もっとホテルに早く帰れるのかと思い、一人で遠出するつもりでいた。 行きたかったのはカタリ派の最後の砦(1255年陥落)であった ケルビュス城の廃墟。

 
 ケルビュス城(十数年前に カルカソンヌに行ったときに買った本から)
カタリ派 というのはキリスト教で異端とされたグループである。 12~13世紀に主に南仏で広がり、トゥールーズはカタリ派のローマと称されほどだった。 カタリ派は善悪二元論をとり、この世を悪とみて、悪から遠ざかるために、肉食を避け(断食もし」徹底した禁欲という清浄な生活を旨とした。ギリシャ語のカタロス(純粋な、清浄な)に由来するといわれている。彼らは教会ではなく、民家などに集まり集会を持ち、1200年頃には ヨーロッパ全体では信者数、数十万人とも数百万人ともいわれ(『中世の異端者たち』山河出版社による)、脅威を感じたローマ教会は徹底した弾圧策をとった。 
もとはといえば、教会が堕落して司祭が頼るに値しなかたっため、禁欲生活を送るカタリ派の完徳者に民衆がひかれていった、という事情もあるので責任は教会側にもある。それなのにローマ教会側に戻らない人たちを 火あぶりにしてしまった。
キリスト教にとっては 負の歴史である。 
私は ロマネスクの教会を見るのが好きだが、歴史にも関心があるので、カタリ派の城も見たかったのだ。
もっとも有名な城はモンセギュールであるが、ペルピニャンからは遠い。ケルビュス城やペイルペルチューズ城なら40キロくらいなので、現地に1時間いるとして 3時間あればいい。 ケルビュス城だけでも行きたかった。 かなり険しいらしいので、頂上までは無理でも、途中まででものぼってみたいと考えていたが、 5時半過ぎにホテルに戻ってきたので、到底無理。残念!!
http://www.catharcastles.info/queribus.php?key=queribus  Cathar Castles - Queribus 

ホテルに戻って1845分集合で少し小雨のぱらつく中56分歩いて レストラン EL GAUCHO へ 

メニューは 地元のサラダ パエリア アイスクリーム 

 
 地元のサラダ パエリア 
   
   

20時30分ごろ 終わってホテルに戻った。