5時 起床
6時30分~7時 朝食 ビュッフェは充実
8時10分 ホテル出発
9時頃気が付くと松林の中を走っている。あれっ、と思って地図をみると、ここはランド県。ビアリッツのあるのはピレネー・アトランティック県だがビアリッツを出て間もなく渡ったアドゥール川を越すとランド県に入るのだ。
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ランド地方は地図で見るように大西洋岸で、荒れた砂地であったが(Landesとは荒れ地の意味)、18世紀末から内陸部への砂の侵入を防ぐために、海岸に沿って帯状に松の木が植えられ、19世紀には内陸部にも植林が進められた。この結果、ランド地方はフランスでもっとも豊かな森林地帯となり、製材、製紙や松ヤニを原料とする樹脂産業が盛んになった。が、何度か大火に見舞われて森林が失われたこともあって、戦後は農地開拓が進められ、トウモロコシや野菜を中心とする広大な農業地域になっている。 |
地図はバイヨンヌの海際が Biarritz 、ここ 左下端に来るようドラッグしていただくと、サン・スヴェールまで 入ります。ソルド・ラ・ベイは ダクッスから南下してA64近くまでいった川沿いです(ペルオラード近くです)
学生時代に フランソワーズ・モーリャックの 『テレアーズ・デスケルー』や『夜の終り』を読んで以来、ずっとランドの松林をみたいと思っていたのだがやっとその願いがかなった。バスの中なので残念ながら松籟は聞こえない。ああ、松の香をかぎ松籟を聞きながら歩きたい(そんなことなら日本の海辺でもできそうだけれど、でもランドでなければ、テレーズの気持ちは分からない。)(テレーズの実家も婚家も松林地主、樹脂の相場があがってきた、などという部分もある)
9時20分 トイレストップ またまた 個室型全自動公衆トイレ 時間がかかる。
『テレーズ・デスケルー』 は 最近映画化され、昨年のフランス映画祭では上映されたのだがまだ日本での一般公開はされていない。 ぜひとみたいものだ。
大きな農家などみかけると、テレーズの家もこんな風だったのか、などと思ってみたりした。
10時25分 サン・スヴェール修道院 Eglise Saint-Sever
修道院は 988年に建てられたが火事のあと、1060年、グレゴワール修道院長のもと、クリュニーをモデルにして再建された。1072年の彼の死の前に 主祭壇を聖別することが出来た。何となく聞き覚えが、と思ったら、ここはベアトゥス本のうち唯一フランスで製作されたのがここだった。この修道院の写本所で指揮したのもグレゴワール院長だそうだ。本文が 西ゴート後で書かれた原本を写したもので、画師はステファヌス・ガルシア。昨日、モルラース、オロロン・サントマリーの入口彫刻に 黙示録の24長老をみたが、これはベアトゥス本による影響が考えられるという。(24長老と仔羊の図は 初期キリスト教時代から、モザイクなどで表されてはきているが)
そうしてここもまたサンチャゴ巡礼路教会の一つでもある。ここはヴェズレーの道の途上にある。
関連サイト
http://www.monestirs.cat/monst/annex/fran/aquita/sever.htm
バスを停めたところから教会へ向かって少し歩く。
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教会後陣 |
ぐるっと回って教会西正面へ
教会は 12世紀ロマネスク
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修道院教会 西正面 |
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入口左側 柱頭 |
内部
内部の柱頭彫刻(11世紀末から12世紀)にはライオンなどの動物や植物模様が多く、彩色されているものも多い。
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ピンボケ 獅子のたにのダニエル |
獅子の谷のダニエル |
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その後 回廊へ
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中庭 |
回廊の天井 煉瓦模様が美しい |
途中写本が展示されている部屋にはいった。(実物は パリの国立図書館にある)
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第六章 四騎士 のページ |
ここには展示されていないが、 昨日も他 24長老の場面
中央に栄光のキリストがいて、 モワサックなどのタンパンは これをもとに造られたといわれている。
もう一枚、 これは 去年行ったリエバナ
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私は これが 仔羊を礼賛する長老たち、とおもっているのだが、 まちがいかもしれない。(人数が 足りない) |
ヘロデ王の饗宴が彫られている柱頭を見て 外へ。
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サロメが 下で 踊っている(アクロバット!) |
ヨハネの斬首 |
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ヨハネの首を渡す |
外周を見乍らバス駐車場へ 途中、この町は古い建物が多いがいまだに修復されていない
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北側入り口 |
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元修道院か教会のように思えるがどうだろう |
そのⅡに続く
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