3時30分
一度、目が覚める。
5時15分 起きて身支度開始。
6時40分 朝食におりる。
ビュッフェ形式だが、メニュー的には、イングリッシュブレックファーストだ。食卓に薄い三角トーストが配られた。イギリス第一回目の朝食なので、ほんの一口ずつ、ブルスト・ソセージ、煮込みビーンズ、焼きマッシュルームなどをいつものヨーグルトに、カットフルーツ、杏、などとともにとった。
7時20分頃 食事を終えて、Iさんと外に出て、写真を撮りあう。ホテルの前はマンチェスターユナイテッドのホームグラウンドであるオールド・トラフォードが見える。半袖のポロシャツでは寒かったので、すぐ部屋に戻る。
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ゴールデン・チューリップホテルの標識の向こうが オールド・トラフォード |
8時30分 出発、チェスターまで、約1時間
9時40分 チェスター着。
ここは、ローマ第二十軍団の本営地(紀元60年)だった歴史のある町である。昔はデーヴァ、といった。ディー川に臨むカストラ(城塞)という意味のカストラ・ディーヴァの略。それが、サクソン時代にカストラが訛ってチェスターという町の名になったそうだ。
イギリスに何々チェスターという町が多いのは、全てこのカストラに由来する。
ローマ軍は海から、川をさかのぼっていける場所にカストラを築いたのだ。
チェスターは13年前にも来たことがあるので懐かしい。
ビジターセンターのところで、現地ガイドのペギーさんに会う。まさにイギリス上流婦人(といってもツンとした人ではない)といった風情の優雅で素敵な方。日本語をおぼえたがっていて、あれを何というか?と聞いていらしたことがあったが、そのとき「その表現はポライトか?」ときいていらした。ポライトな言葉でなければ似合わない人だ。
聖ジョージ・パブテスト教会 1075年創建
ローマ劇場 発掘中だったが、英国最大で、7000人収容できたそうだ。道をへだてた、向こうの城壁は下部がローマ時代、上部はサクソン時代に造られた。 道路にはニューゲート。
下の写真はどちらも、このあとの城壁ウオーキング中に上から撮ったもの

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ローマ劇場跡 |
ニューゲート(中央のグリーンはローマ公園) |
ローマ公園 ここには付近で発掘されたものを集めておいてある。サウナ風呂もあった。
ディー河のほとりで写真ストップ。向こうに見える橋は14世紀に造られたもの。
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ディー川 |
それから、サクソン時代の城壁ウオーキング。途中の橋は、息を止めて三往復すれば願いがかなう、というが私には一往復だって出来そうにない。
城壁の上から、テラスハウスがみえる。これは100年くらい前の人口過密時代につくられたもので、外の小屋はトイレ、当時は一番安い建物だった。

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願いの階段 |
100年前のテラスハウス |
イーストゲイト・クロック ビクトリア女王の60周年を記念してつくられたもの。
町にはいるとザ・ロウズ、と呼ばれる黒を基調とした、ハーフ・ティンバーの家々が続く。これらは中世からのものではなく、19世紀に建てられた。
道は坂になっているらしく、いつのまにか、建物の二階を歩いていた。
10時55分〜11時25分 フリータイム
希望者はペギーさんがチェスター大聖堂に連れていってくださるというので、一緒に行く。
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城壁から見たチェスター大聖堂 |
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聖歌隊席 |

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聖歌隊席の天使像 |
聖母礼拝堂のSt
Werburgh像
706年に亡くなったサクソンの王女で多くの奇跡を行なった聖人。
この神殿にこの大聖堂が建てられ、神殿は今も聖母礼拝堂にある |
一番奥の聖母礼拝堂の天井のボスが良かった。

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聖母子 |
ベケットの暗殺 |

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教会の古い部分の壁 |
13世紀に修道士が食堂に行くのに使った入り口 |
クロイスターもすてきだった。中庭には現代彫刻。
出るときに暗くてよくみえなかったが、出口近くに 柱頭らしきものが展示されていて、その一つはグリーンマンだった。
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今回の旅行で見たグリーンマン第一号 |
教会から、集合場所に戻る途中で、時間を気にしながらもペギーさんはとあるお店に入って行く。床を見ると一部分がガラスになっていて、ローマの遺跡が見えた。(時間がなくて写真を撮る暇はなかった)。古くからの歴史のある町を大切に保存しようとしているのだ。バスに乗って昼食レストランへ
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ヨークシャープディングとローストビーフ |
11時45分〜12時50分 DENEホテル
ヨークシャープディング付きローストビーフ
トマトスープ、ヨークシャープディング付きローストビーフ、
アップルパイ
グラスワインは3ポンドだった。
食後、いよいよウエールズへ、
13時8分ごろ、ウエルカム・トゥ・ウエールズの看板、
ウエールズに入る。
ウエールズとは、サクソン人がこの地の人をよそ者(ウエアラス)と呼んだのが始まりで、この地の人はカムル(同朋の地)と呼ぶそうだ。
13時25分〜13時50分 スランゴスレンの運河のそばで、写真・トイレ・ストップ。
ナロウボートが泊っていた。陽射しは強いが風は涼しかった。
下の石碑は上部のリボンに『ストリーム・イン・ザ・スカイ』 の文字。その下は上に船と馬(昔は船を馬で引いた)をのせた水道橋のような高いアーチ、下に魚。(拡大するともう少しはっきり見えます)

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『天翔ける運河』の碑 |
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拡大写真は別の方向からのもの |
これは運河ではなく駅近くのディー川 |
イギリスでは河川を航行するのに都合のよい幅の狭いハウスボートがあり、それをレンタルして、気ままに川を行くのだが、ここスランゴスレンには『天翔ける運河』というのがある。ディー川の谷を渡る際に高架になるのだ。水道橋のようなのが、遠くに見えた。(橋の高さ38メートル)1804年にできた。 (その2に続く)
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