リンカーン

その2


23分間で、リンカーンに到着。
リンカーンはローマの第九軍団の本営地(AD48年)でリンドゥムと言う名だった町である。ローマの軍人は退役すると年金と土地をもらったが、そういう 軍人たちの入植地(コロニア)、リンドゥム・コロニアから、リンカーンという名になったそうだ。
この殖民市に定着したローマ人は土木技術を持っていたので、排水工事をして農地を拡大し、運河をつくった。これを利用することにより、後の内陸水路利用の産業が活発になり、中世には羊毛の輸出が盛んだったという。 
駅前で前方を見ると大聖堂がそびえたっている。驚くほどの大きさだ。
朝は電車が混むと思い、明日のニューアーク〜ロンドンの座席を予約(予約料はタダ)しておく。
タクシーでホテルへ。(4ポンド)
3時半前 リンカン・ホテル に着く。

私の泊ったお部屋

荷物を置いてすぐ、雨の中に飛び出す。ホテルは教会の後陣の横。
大聖堂西正面に回ると、横に城壁とゲートがある。
そちらへ行ってみるとお城の遺跡だった。
時間に余裕はないが、入場料3.8ポンドを払って入ってみると、マグナ・カルタと書かれている建物があった。リンカン城にも、マグナカルタが保存されていたのだ。マグナ・カルタや、昔の牢屋だったところなどをざっとみて、(子供向けに音と光のショーみたいなのをやっていた)城壁に行く。一応上ってみたが、雨がかなり強くなった。殆どの人は下り始めている。途中、塔の暗い所があるので、一人では気味が悪くてそのまま下りてしまった。

リンカーン城 城壁、茶色の建物には
マグナカルタの展示や元の牢屋がある

教会は8時まで開いているので、先に町を見ることにする。

スティープ・ヒル

坂の途中のお菓子屋さんのウインドウ

スティープ・ヒルという急な坂をくだると、途中にジューズ・ハウスジューズ・コートがある。
これは1170年頃建てられた、イギリスに現存する石造りの町屋としては最古の部類に入るものだ。

ジューズハウス(左)とジューズコート

リンカーンにきたのは、『英国ユダヤ人』という本を読んだことがきっかけである。その本に、この左側の<ユダヤ人の家>の写真が出ていた。

12世紀以降、儀式殺人告発 (キリスト教徒の少年の不審死をユダヤ人が誘拐して、磔刑にしたのだとする虚偽の告発) というのが多くあり、(詳しくは『英国ユダヤ人』でどうぞ) リンカーンでもそれがあった。死んだ少年ヒューはこのリンカーンの大聖堂では聖人としてまつられた、という。(現在では教会はこのことを深く反省している)
人間の欲望、嫉みの気持ちなどが違った宗教、生活習慣を持つ者に向けられたのだ。日本人にとって、ユダヤ人は身近な存在でないだけに、その現象に驚くが、考えてみれば、このようなことは対ユダヤ人だけとは限らないし、また現在のイスラエルや、ユダヤ人をめぐる問題の歴史がいかに根深いものであるか、ということにもなると思う。そういう意味でもこのリンカーンという町は私の興味をひいたのだ。

ユダヤ人はお金を持っていたので襲われることが多く、また未亡人が貸家に出来る、という利点もあって、石造の家を建てたという。(当時の一般の人は木と漆喰でできた家に住んでいた)
中が見られるかと期待したが、一軒は本屋、一軒はレストラン。ここで、夕食とも考えたが、ホテルに戻る坂道を暗くなって歩くのは危険と思いやめにした。

ドンドンくだると、ストーン・ボウという門が見えてきた。

ストーン・ボウ

そこをくぐると、ウイタム川にかかるハイ・ブリッジ。橋の上には木骨組みの家が建っている。

ハイ・ブリッジ

ここまで来ると、もうさきほどの駅に近い。戻ることにする。
途中グレイフライヤーズ博物館(出来たばかりの建物)にちょっと入ったが、先史時代のところなどがあり、時間もないので、見るのはやめにして、教会へ。

リンカーン大聖堂 は1072年から建てられたが、火災や地震にあい、現在の建物は1186年からヘンリー二世により造り始められ、1500年ころまでかけて、イギリスで三番目に大きい聖堂が造りあげられた。Lincoln Cathedral, Lincolnshire UK

まず、西正面の彫刻が素晴らしい。ノルマン・アーチ。それから控え柱の彫刻がくちばしや、蔦に絡まれた人間。一種のグリーンマン。よくみるとアダムとイヴもいる。

拡大写真は左の柱彫刻の別場面

教会内に入ると5時30分〜6時15分はミサ中で、交差廊までしか見ることが出来ない。しかしオルガン演奏や聖歌がきこえてきて気持ちがいいので、しばらく聴きながら手前の部分を見る。
身廊はゴシック。どっしりとした洗礼盤が目にはいった。12世紀半ばにトゥルネイ(ベルギー)で彫られたもの。

身廊 トゥルネイ産の洗礼盤

一度外に出て廻りを見る。壁のフリーズをよく見ると、人頭の列。また地獄を表す彫刻もあった。教会の周りには教会学校や聖職者の住まいがある。

教会西正面の彫刻(地獄) 教会の左手は教会関係者の住宅

再び入る。今度はちゃんと見られるからと、しっかり3ポンドの寄付をとられる。この教会はキの字形で、袖廊がニ本ある。手前の長い袖廊には1220年ごろに作られた二つの薔薇窓、南にビショップスアイ(司教の目)北にディーンズアイ(修道院長の目)がある。ビショップス・アイは枠が葉の形でなかなか良かった。

ビショップス・アイ ディーンズ・アイ(拡大写真は薔薇窓のみ)

奥に進み、リンカーン・イムプを探す。

リンカーン・イムプ

高い所にあって、見つけにくい。
係りの人に案内してもらった。
予想したよりずっと小さくて。かわいい小鬼ちゃんだ。(イムプとは妖精の一種)礼拝の最中に居眠りでもしていたら、どんぐりの実でも投げたり?とか、勝手に想像して楽しんだ。 
そういえば、泊ったリンカーン・ホテルのキイにも、この『子鬼ちゃん』が付いていた。 
可愛いので、あとで、ショップでこのマグネトを買った。

回廊に行きたいのに、入り口が分からない。
鍵がかかっていたのを開けてもらった。
ここは1300年頃造られたもので木の天井だ。
ボスも木製。動物や聖母像など。
お天気が悪くてよく見えない。それでも一応写真を撮る。

回廊 ボス(兎は珍しい)

回廊の途中にチャプターハウス(1220年代)の入り口があった。閉まっていて中から、コーラスが聞こえる。ここは、このように使っているときは見せないそうだ。明日は8時に教会が開くが、チャプターハウスが開くかどうかは分からない、とのことだった。例の映画『ダビンチ・コード』の撮影(謎解きの大詰めのシーン)に使われた場所なのだ。回廊もここのような気がするが、どうなのだろう。回廊は7時まで、といわれて出る。

身廊に戻ると、ちょうど雨があがって、ステンドグラスの輝きがすばらしかった。
この大聖堂のステンドグラスは青や赤が多いので、ひときわ光に映えて美しい。

外に出ると、西正面が夕日を浴びて金色に輝いている。
信者でなくても素晴らしさに感動するのだから、中世の人々はいかに歓喜の念を持ってこれを眺めたことか、と思う。

西正面

8時少し前にホテルにもどり、着替えて(一応スカートはもってきている)もう外に出る元気は残っていないのでホテル内のレストランへ。

窓際でまだ明るい戸外を眺めながらのお食事。

スターターもメインも何種類かから選ぶようになっている。
ともかく軽いものと思い
スターター メロン・チェリースープ(シャンパーニュ・ソルベ入り)
メイン グレイズド・ダック サラダ、チェリー、グレープフルーツ添え
それに白のグラスワイン

奥が、バター、
手前はオリーブオイルにパセリのみじん切り

突き出しだが、何だったかもう忘れている

メロン・チェリースープ

グレイズド・ダック

モダン・ブリティッシュというのだろうか、ドテッと量ばかり多いイギリス料理とは違って盛り付けもきれいで美味しかった。お隣のテーブルの方のデザートもおいしそうだったが、これは分量が多いのであきらめ、2コースで終りにした。2コースで22ポンド位、3コースだと29ポンドくらいだったと思う。
9時15分過ぎ 部屋にもどり紅茶をいれる。

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