2日目

 その Ⅲ

 ゾースト~パーダーボル



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401730 ゾースト市内観光

ゾーストSoest7世紀ころからの集落で中世ハンザ都市として塩の取引で栄えた町。
 
城壁に囲まれた町である。 しかし、城壁、門はバスからチラリと見えた程度。
下右地図のグリーン

バスを降りると、木組みの家が目につく。おおードイツ!(右図中央緑の横が パーキング)

   
 パーキングから、横の女の人がいるところは池  

最初に訪れたのは

ホーネ教会 Maria zur Höhe in Soest  》Hohnekirche 
http://www.hohnegemeinde.de/ ドイツ語ですが、 左上kircheをクリック、オープン時間、Kleiner Rndgangで 写真が見られます。
位置は 右地図の 上、灰色で囲ったところ

この教会は 122030年ごろ ハレンキルヘに改造されたロマネスク・ゴシック様式。平面図でみられるように、ほぼ四角形をしている。そうして色が緑っぽい。 写真で人の集まっているところが、図左下の入口

   
   

まず入口 のタンパンを観る。彫刻のない ブシュールの無骨さがいい。向かって右の柱頭、二股人魚

   
   
 
 

磔刑を挟んで 向かって左にご生誕、右に聖女の墓参り、 磔刑の四つ葉型の周りに天使、下の二体は頭が下になっている。
 
磔刑の十字架の上には 太陽と月、 月はシナゴーグ(旧約)で死を意味し、太陽エクレシア(新約)で生 を意味するそうだ。
顔など今見ると、ヒルデスハイムの青銅扉と造りが似ているように思われる。


中に入る。 この教会はゴシックと言えると思うが素敵でした。壁画とそれに三本柱、造りも面白かった。
内部 西側
 
 

 洗礼盤 1180年ごろ 
ここは柱で囲まれた 洗礼室  三本の柱でかこまれた奥の部分にあった。色彩豊かなバッグを下げているのが現地ガイドさん。こういうバッグ、買いたかった!
   
   

円盤十字架 Scheibenkreiz  111030頃 (直径272cm) 
円盤十字架なるものがこの教会にあることは予備知識としてもってはいたが、実際に見るまでは どのようなものか全く見当がつかなかった。 これを見て、先ほどのカッペンベルクの教会床にあった 花や果物でつくられた飾りはこれを模しているのだと、気が付いた。

十字架から生える樹木が、大円盤の描かれ、十字架が 「生命の樹」であることを示している。円は 宇宙の象徴。
大きさがわかるよう小さく全体写真も載せた。

   
 

現地ガイドの説明では 円盤十字架のオリジナルはスゥエーデンで、ハンザ同盟都市であったことから伝えられた、と言っていた。(岡野氏は この形は ビザンツの フラベルム(聖扇)が起源と推測される、と言っている。(ビザンティンの古い絵で 行列の時、柄のついた大うちわを持って歩いている人がいるが、あれのことだろう)フラベルムは カロリング朝以降、西欧にも存在するが小型のものがほとんど。(翌々日行くヒルデスハイムで観ることになる)また北欧にも数例ある、と書いてあった。

この教会は壁画でも有名。13世紀の大型絵画がほぼ完全に残っている。ビザンティン風で青が美しい。
主内陣のフレスコ画 1220年頃 マリアと16体の天使

 
 
 
 

1480年ごろの土地の画家の書いた祭壇画が穹窿の下におかれている。

 
 

北の副内陣フレスコ画  1250年ごろ  マリア戴冠

 
 

天井や壁の装飾画もいい感じだ。13世紀に描かれて以来、リノヴェーションはされている。

   
   

キリスト下両脇には アベルとカイン    ドラゴン

ここを出て街の案内を聞きながら次の教会へ向かう。
ホーエガッセ、 このあたりでは緑色の砂岩を産出するが、最近ではあまり出なくなってしまったそうだ。
シュバルツェンボルンガッセ 細い運河。このあたり昔は皮なめし場があったそうだが、今はきれいになって 憩いの場になり、ガイドさんの好きな場所だそうだ。ボルンとは泉のことなので、黒い流れ、皮鞣しで昔は汚い流れだったことがうかがわれる。

   
   マルクト広場

マルクト広場マルクト広場 木組みの家、人気だが住みこなすのは大変らしい。
マルクト広場を背に市庁舎(赤い建物)の横を行く。奥の緑色の建物は 目的の教会

 
 

奥の緑色教砂岩の建物が 聖パトロクロス教会 Sankut Patrokli Dom

http://www.pastoralverbund-soest.de/der-dom.html
http://www.pastoralverbund-soest.de/dommuseum.html
右下に行くと各国語翻訳が出ます。 例によって日本語はメチャクチャ、

ケルン司教Brunoが 954開基
現今の西構え新築は 119030
交差穹窿などへの改築、献堂は1166

   
   
壁にあった平面図、建物の変遷の様子がわかる。
最初はバシリカ、玄関廊がついて、1200年には 西構えがつけられている。それが1300年には左右の塔が取り除かれ、四角い大塔だけになった。
この大塔は ケルンの「グロース・ザンクト・マルティン』 の大塔とともに シュタウフェン朝ロマネスクのもっとも印象的なものであると岡野氏は書いている。
塔の基台の二階建ての部分は明日行く コルヴァイなどの カロリング朝の ヴェストヴェルクの残照と氏は見ている。 

 
 
     
     
 
 身廊西側
   
 東側  1400年頃の十字架  下には聖パトロクリの聖遺物箱 軍人だったようだ。  後ろのフレスコ画は新しい。

左内陣 1200年ごろのフレスコ画、これも後期ロマネスクの主要な壁画とされているものである。

 
 
少し驚いたが ここもサンチャゴ巡礼路にあたり 巡礼路教会になっているそうで、記念のstampをおしてもらった。考えてみればドイツからもサンチャゴ巡礼に出かけた人はいたはずなのだ。中庭の緑が心地よい
   
   

ステンドグラスもうつくしかった。

 
 
横の聖ペトリ・ポール教会には入らなかったが、タンパン彫刻を眺めた。
参考までに http://www.petri-pauli.de/ kirchenをクリック、 rundgangで 写真が見られます。

   
   

ゴシック建築だが このタンパンは 12世紀とある。

観光おわり、なお教会にお手洗いはなく市庁舎横のお手洗いに案内された 0.5

運河、石畳の道、木組みの家並み、ゾーストという町、知らない人がほとんどだと思うが(私は知らなかった)とてもきれいな街だ。一泊して半日くらいフリータイムをとって、ゆっくり歩いたりテラスでお茶したりしたい街。

17:30~18:25 バス

1825 パーダーボルン着  ベストウエスタン・アローザホテル

最初は 上の階で見晴らしがよかったが、シャワーの具合が悪いので、かかりの人にきてもらったが うまく調節できないので部屋替え。今度は3階。 

なんと スイートだった。 眺めは悪い、スイートというのはよさそうだが、一人一泊となると実は不便なのだ。 寝室とバスルームの間に居間がある。 お風呂に入ろうとしてたいてい何か忘れるので、寝室まで取りに走るのですが、遠い!そうして 寒かった。

そういうわけで、夕食に少し遅刻。 ここのお食事はよかった。下左は 鶏肉みたいだが、ローチとか、どじょうの一種だそうだ。