4日目

 そのU

ヒルデスハイム 2



大聖堂を出て 10分くらい歩いて 聖ミカエル教会へ

https://michaelis-hildesheim.wir-e.de/aktuelles (残念ながら 宗教無縁の人間にはあまり情報はえられません)

聖ミカエル教会 St.MichaelChurch (開基1001年ベルンヴァルトが 建てはじめ、彼の死後ゴッダールトが引き継いで1033年 最終献堂)

大聖堂から行くと道は気がつかないほど緩い上りになっていて、最後は少し丘のようになったところに建っていた。オットー朝建築の頂点と言われまた ドイツロマネスク建築の前触れともなっている。ロマネスクファン必見の名刹。しばらく待つ。

外観 塔が林立、両脇の円塔は細く下部は八角形のようだ。写真で見ると、塔が林立していて うるさいようだが、実際に近く出見ると、それなりに横幅もあるせいか、ごちゃごちゃうるさい感じはしなかった。(南側からみている 向かって右が東)。

 
 

入ると、綺麗!!赤と白の石で縞模様が造られ、明るく晴れやかな雰囲気。構造はすっきりしていて 色彩で華やかになっている。

平面図を見るとよくわかるがきっちり幾何学的に作られている。つまり交差部の正方形が基本単位になっている。パンフレットより下右図に見られるように 身廊と袖廊の交差部の正方形を単位として造られている。3×3=9 9という数字が大事にされている。 3は三位一体とか、天使も3づつ組になって9あるとか、理由はいろいろあるようだ。 

   
   

3廊バジリカ、両端内陣、東西二本の袖廊 それぞれの交差部に角塔 袖廊それぞれの正面に小塔(計4基)
ザクセン式支柱交替(角柱1、円柱2)が下写真から分かる。この角柱ごとの単位が上右の図
東西両端の内陣

 
 東内陣(図の S)  左奥(図の10)の2個の茶色い方円(ヴェルフェル)柱頭がベルンヴァルト時代1010〜1022)のオリジナル
 
 西内陣

いくつかには彫刻がほどこされている。(12世紀末に置き換えられたもの、シュタウフェン朝ロマネスク)袖廊は三層になっていて2階、3階は小アーケードのエムポーレ(高桟敷)になっていて、天使の内陣(Engelschor)と呼ばれている。

 
東側から北側袖廊と西を見ている。 ザクセン式支柱交替もよくわかる。 また 右手には洗礼盤(1618年)

 天使のトリビューンを上図14あたりで見ている。 側廊もひろいので全体にとてもゆったり、すっきり明るい感じがする。

   
   側廊

天井は木製で13世紀(11から931259年まで諸説あり)の板絵(かしの木)が残っている。キリストの系図を示す 「エッサイの樹」と言われる図で、板絵としては(ステンドグラスはある)ドイツ最古のもの。大戦中は はずして別の場所に保管されていたので無事だった。

 
 

柱頭をいくつか、シュタウフェン朝Romanesque(12世紀末)

     
     ヱヴァの誕生

それから西内陣横からクリプト(地下ではなく同平面)へ オルガン横の階段からクリプトに行く。周歩廊がめぐらされている。14世紀に造られたペルンヴァルト司教のお墓がある。
おおざっぱに言って北ドイツはプロテスタント圏になる。ヒルデスハイムも当然プロテスタントだが、教会のこの礼拝堂でだけはカソリックのミサが行われていたそうである。(1803年まで)

   
   周歩廊
   
   ベルンヴァルト司教のお墓

漆喰の白もまぶしい教会内部。きれいだけれど、さびさびとしたロマネスク教会ファンにとってはいささか戸惑いが。こういうものを見るとホッとする。 

   
 古い柱頭  柱の台座

1100 ここを出てまた大聖堂に戻る。 今度は大聖堂博物館へ。 数は多くないが貴重なものがあった。

おおいなる黄金のマドンナ 10101015 ニコポイヤ型と言われる、このように威儀を正した聖母子像を セデス・サピンツィアェ(上智の座、ソロモンの玉座のマリア)と呼ばれることが多い。菩提樹の木芯に金着

     
   

円盤十字架 (113040頃)ビザンツの聖祭用円形扇フランベルム Flabellumの形で2個一組(直径41.2cm 35.5cm)で行列の際掲げられたリ、祭壇に安置されたりしたもの。ゾーストの壁にかかげられていたものと形が同じで興奮して眺めた。3基あったが、そのうちの2基載せる。

   
   

1000年前後にベルンヴァルト工房が活発になり、初期は銀を素材とするものが多かった。
ベルンヴァルトの大きな十字架(48cm)と ペルンヴァルト制作の磔刑像(31cm)ペルンヴァルトは教義だけでなく美術についても学んだ人。

     
 ベルンヴァルトの大きな十字架 ベルンヴァルトの銀の磔刑像(右は裏側) 

上部の黄金小磔刑像と4枝の小型装飾版は1022年以前、その他の部分は1150年
交差部の水晶の中に聖十字架断片 上部の水晶の中には黄金の小磔刑像


ベルンヴァルトの銀の磔刑像 10071008年 ベルンヴァルト自身の制作であることが裏に記されている。勝利の十字架ではなく受難の十字架である。 聖ステファン、ディオニユーズィウス、ラウレンティウスの聖遺物と聖十字架断片が内蔵されている。

ベルンヴァルトの小福音書 本は9世紀後半北フランスのもの、coverは象牙彫り、10世紀 ビザンティン、縁は12世紀ヒルデスハイムで作られたもの
ベルンヴァルトの福音書 11世紀半ば ヒルデスハイム

   
 ベルンヴァルトの小福音書 ベルンヴァルトの福音書 

3182 ベルンヴァルトの銀燭台 1020年頃  41cm の下部  と 行列用十字架(1190年頃)

   
   

ドラゴンの形の水差し 12世紀半ば と 鷲の形をした聖書台 1220〜30年 (教会におかれていたのは レプリカ)

   
この ドラゴン形の水差しなんだか中国のもののように思えた  

写本などもう少し載せたいが写真が多くなりすぎたのでこのくらいに。
エッセンの大聖堂博物館でも感じたが、神の栄光を表す、とかなんとか理由はあれど司教様たち金銀宝石大好きらしい。もちろん私も好きだから見るのは楽しいのだけれど。
コツコツと岩に自分のお墓を掘って過ごした修道士もいるのに、、。なんて言いながら へばりつくようにして見入ってしまった。

この社会は、現世的なものと霊的なもの、権力の標章と礼拝用の用具のいずれにも等しい敬意を払い、それらを混同していたのである≫  だそうだ。                 新潮社『紀元千年のヨーロッパ』より

回廊の二階を通って外へ、上からアプシスの薔薇を見る。

   
   馬市場だったところ

マルクト広場に戻り ランチ 途中 馬市場だったところを通った。

お店は元肉屋のギルドだった木組みの建物。(そのTに写真)

Knochenhaueramtshaus  http://www.knochenhaueramtshaus.com/

ジャガイモとニンジンのポタージュ ローストポーク ムース グラスワイン4.7

     
     

1410〜 1515 移動、 ゴスラーに向かう。