5日目 

108日(土)

クヴェトリンブルク滞在

マグデブルグ〜ゲルンローデ〜ハルバーシュタット



お部屋がかわいい。 でも 矢張り寒いので ベッドの周りに カーテン(?)を下して寝た。

   
   

700 朝食  サーモンにホースラディッシュを添えていただいたがとても美味

 
 

下のマルクト広場では 市が開かれていた。

 
 お部屋の窓からマルクト広場を見る(立地条件、最高のホテル)

845 バスで 出発 バスの中でバルバロッサの話を聞きヴェルディのオペラ 「レニャーノの戦い」を江間さんがかけてくださった。

 
 

9:50 マグデブルグ大聖堂前着 雨!

 
 

マグデブルクはカロリング朝時代東端の境界地域でスラブ人に対する前線基地だった。 

エルベ河畔にあり、交通、交易の重要な中心地。現在の大聖堂のある場所には王の城塞があったと推測されている。 

オットー1世は929年 イングランド王女エドギダと結婚 このマグデブルグの地を 「朝の贈り物」として贈った。

クヴェトリンブルクやマグデブルクなどはザクセン・アインハルト州に属し旧東独である。

かなり以前シーモア作の 『マグデブルグ越境工作』というスパイ小説をよんだことがある。 

マグデブルグを訪ねるソ連の科学者をイギリスに亡命させるよう指示を受けた工作員が マグデブルグに行くのだが、「観光客を装え、たとえば聖母教会なんかでも見て」というくだりがあった。その聖母教会にも今日行くことになっている。そういうわけでちょっとワクワクしながら行ったのだが、あいにくの雨には少々がっかり。開くのを待っている時間、寒かった。

10:00 1110 マグデブルク大聖堂 見学 Dom St.Mauritius umd St.Katharina http://www.magdeburgerdom.de/domgemeinde/10.html  

平面図

 
 

開基937  955年から 建設開始(オットーの指揮による)

968年 司教座創設 大聖堂に昇格  初代司教はアダルベルト 献堂は 1049

973年 オットー1世埋葬(エドギダは 946年に埋葬されている)

オットー朝の大規模教会だったが1207年に焼失。1209年からゴシックの現教会が建設され始めた。従って今回見る教会はこのゴシック時代のもの。

しかしいくつかロマネスク時代のものある。 

洗礼盤 ロマネスク期以前のもの 由来は分からないが この紫色の斑岩はエジプト、アスワン産、キリスト教時代以前から使われていたもので、現在もなお使われている。

 
 

オットー1世の墓

 
 

16角形の聖墳墓礼拝堂 中にオットー1世とエドギダの像(1250頃) 残念ながらピンボケ。

   
   
 パラダイス・ポータル 平面図 C の愚かな乙女と賢い乙女 1250年頃  もう完全にゴシック彫刻だがストラスブールを思い出した。
 
 愚かな乙女
 
 賢い乙女

ここには エクレシアとシナゴーグ像もあった。 薄黒くなっているのが残念

   
 シナゴーグ  エクレシア

聖マウリトゥス 
110cm 砂岩 黒人の顔をしている。 マウリトゥスはローマのテーベ軍団をひきいていた武将、 キリスト教徒兵士を殺すよう命じられたが、従わず彼らとともにスイス、サンモーリスで死んだという人物(300年頃)。 スイスのさんモーリスの境界を訪ねたことがあるので、私は親しみを感じた。オットー1世は このスイスのサン・モーリス教会から 聖遺物を献じられ、この教会は 聖マウリトゥスにささげられている。(ここから 北ドイツに聖マウリトゥス崇拝が広まったという)この教会は 聖カタリーナにもささげられていて、カタリーナの像もあったが写真とりわすれ

イースターキャンドル 1170年頃 大理石の柱

ブラックマドンナ 1280年

     
 聖マウリトゥス  イースターキャンドル  ブラックマドンナ

Ernst Barlach作の平和祈念像 1929

 
 

それから回廊へ 向こう側(南側 はロマネスク様式)

 
 

この後お手洗いに行ったがこのロマネスク部分にあった。 そこでちょっと写真も撮った。

 
 
 
 
バス移動 バスの中から フンデルトバッサーハウスを見た。
 
 

聖母マリア修道院 Kloster Unser Lieben Frauen

1017年大司教ゲロが創設    1129年大司教ノルベルトはにプレモントレ会の本拠地とした。

第二次大戦中の爆撃で殆ど焼失。ロマネスク部分は回廊のみ。
現在はコンサートホールなどに使われている。

西側写真撮り忘れなので、グーグルマップから。 
最近のグーグルマップは素晴らして 地域によるがこのように三次元画像が得られる。二本の円塔が中央塔を挟む形。
大聖堂と聖母マリア修道院との位置関係、大小比較のためにもう一枚。

 
 
 
 

入口のノッカーがかわいい。

   
   

回廊へ 中庭の奥に面白い建造物 

   
   

Brunnenhausとか Tonsur とよばれるもので、泉水があったところ、あるいは剃髪所 近くに「行ってみたが手洗い場らしきものはなかった。

 
 

教会 身廊はゴシックだが尖頭アーチの下に半円アーチをおいて もとのロマネスクだったことを示しているのか。

 
 

コーニスの組みひも模様はロマネスク時代のもののようだ。 

 
 

チャペル 

石板 11世紀の磔刑 柱は様々

 
 
   
 

回廊から観た西側の塔 

   
   

11551210 マルクト広場写真が多くなりすぎたので 次頁へ