5日目 

そのV

ゲルンローデ



バス移動してゲルンローデへ 

今回は駐車場がみつからなくてぐるぐるまわることが多かった。 ここでも教会は見えているのに、10分ぐらいあちこち移動した。 周りはいい住宅地だった。

聖キクリアクス教会 ゲルンローデ Stiftskirche St.Cyriakus  Gernrode 
https://www.stiftskirche-gernrode.de/

この教会はオットー朝教会建築を代表するものとしてヒルデスハイムの聖ミカエル教会とともに名高い教会で、期待していたものの一つ。円塔が見えただけで胸が高鳴る。

辺境伯ゲロが戦士した息子たちのために、959年に息子の嫁を修道院長として女子修道院を開基。 
教会は961年 聖キクリアクスの聖遺物を得て造り始められて、1000年頃完成。当時は中央に角塔を伴う西構えないしwest werkと推測される(岡野氏による)
改築12世紀、19世紀後半に修復。

入場を待つ間、5、6分ばかり外側を見る。写真では下の西側のものしか見たことがなかったので山の中の小さな教会、という先入観を持っていた。が思いがけず大きくて建物の立派さに驚いた。 
北入り口わき 上部にライオン。 タンパンにうっすらロマネスクの彫刻があったようだが、注意して撮らなかったのでパンフレットから。
タンパンは後に載せるフォンとと同様、解体されたアルスレーベンの教会から12世紀にもたらされた。生命の樹を挟んでライオンと ? 

   
   

西側  塔の下部はオットー朝オリジナル。上部 南、半円フリース と 北、三角破風風フリースは12世紀の改築によるもの(20世紀に修復)

 
 

東側  西と東 両方にアプシスがある。 南面は あとで中庭から撮ったものだが、先にのせておく。

   
 東側 南面(中庭から) 

平面図(買ってきたパンフレットから) 東西の軸線がずれている。

 
 

写真を撮りたい人は 5€必要。
両端内陣  西 アプシス 内陣のフレスコ画は 13世紀

東アプシス

   
 東アプシス
 西 アプシス 

身廊のアーケードは角柱と円柱が交代している。 これは支柱交替の最初の例。側廊の上に エンポーレ(高桟敷、トリビューン)もドイツでは初出。

東クリプタはハレンクリプタでオットー朝から現存する実例としては最古のものに属する。
西クリプタは1130年頃の改築によって造られた。4個の方円柱頭はオットー朝起源のもの。 

   
 東クリプタ  西クリプタ

天井には絵が描かれている。

 
 

南側廊内に 「聖墳墓」とよばれる区画がある。 エルサレムの聖墳墓の見立てとしてドイツでつくられたものの最古の例。

西側 周辺部の石彫(1120?) 内部 漆喰像(1170?)

 
 

↑漆喰像は マグダラのマリアと推定  周辺部は石彫部分は 上下左右中央のグリーンマンから生えるブドウ蔓草模様、内側に 左の男は洗礼者ヨハネ、右はモーゼ(板を手にしているから)中央に神の子羊 鷲や ペリカン、 ライオンなど
この周りの動物が実にいいと思った。

↓左がキリストで右がマグダラのマリア で 「我に触れるな」の場面、うえは 荘厳のキリスト 左下に組み紐十字文

 
 

殆どわからないが「復活の墓へ走る使徒」 と推定される、と岡野氏は書いている。

 
 

残念ながら内部は見なかったが、大天使や 墓参りの三人の聖女などの漆喰像がある。

西クリプタの前に置かれているフォント。 側面の彫刻がかわいいアルスレーベンからもたらされた1150年頃のもの。
八角形で側面にキリストの生涯が彫られている。パントクラトール
 おつげ、 ご生誕

   
   

この修道院の設立者 辺境伯ゲロの墓  16世紀

   
   

南側に中庭 教会側にだけ回廊(?外廊下?)がある。12世紀後半とそれ以降 

   
   庭への出口にあった

 回廊の柱頭彫刻

   
   

3529〜33仲に戻って 内部の柱頭を眺めた。 残念ながら ピンボケ。
柱頭の上のアーチの付け根が三角に切り込まれているのは初めて見た。
柱頭に 樹葉や人面を彫刻する試みはオットー朝における初めての試みだそうだ。

   
   
   
   

見応えのある教会だった。 特に聖墳墓の彫刻がよかった。 
15:45 ここを出て、ハルバーシュタットに向かった。
そのWに続く