6日目

10月9日

クヴェトリンブルク〜メムレーベン〜エアフルト



クヴェトリンブルク という町はドイツ史において非常に大事な場所。 
919、神聖ローマ帝国初代皇帝オットー一世の父ハインリッヒはこの地で狩猟中、東フランク王 コンラート一世により後継王に任ぜられた。
ハインリッヒはザクセン大公であり、これからザクセン朝が始まった。
カール大帝がザクセン討伐に苦労したことを思えば、ザクセンは馴化、カロリング王朝を継ぐまでにいたったのだ。
ただし、競合する国内諸豪族の同意を得るまでには年月を要している。
 

朝食後 Yさんと少し付近を散歩。市庁舎の横の道を行く。

   
 
Judengasse(ユダヤ人街)があったのではいってみた。シナゴーグなどはなかった。
   
   

835 徒歩で市内観光

まず 木組みの町を見る。 ホテル前から 
ホテル名のテオファノはビザンツ皇女でオットーU妃となった女性の名からつけたものと思われる。この町には 古い木組みの建物を利用したホテルがいくつかある。
そのいずれかに泊まりたいと思っていたのでここに泊まれたことは とてもうれしいことだった。 ただしバスタブはなかったし寒かった。  

   
 ホテル・テオファノ  
広場を囲むようにして、ホテルの左方向に市庁舎。その前には ローラント像(写真は上)
ローラントはカール大帝に仕えた伝説の英雄だが、14世紀になって 都市(商人)の力の象徴として特に北ドイツ各地に多く像が建てられるようになった。 
しかし都市の商人たちの権利の象徴であったので、司教などによって取り払われることも多かった。 

ここクヴェトリングの像も 1447年、商人たちの活動を快く思わない当時の修道院長ヘドウィヒは、自分の兄弟とその配下の兵をよんで戦い、像を破壊してしまった。
その断片が見つかり1869年再建されたものが、これ。(当時の修道院に清貧などという言葉はないらしい)

斜め向こう(市庁舎の横)の通りから細い家の入口のようなところへ入る、シューホーフ通り  この右下写真の家は ガストハウスになっていた
を抜けると

   
   左の細いところ道は少し広くなる

そこから一本向こうの通りへ 

   
   

 マルクト広場へ 戻り、 ホテルからいうと右手後ろ方向に行く。

 ミュールグラーベン 細い堀沿いに行く。

   
   

左下 現存する一番古い木組みの家、14世紀のもので、現在は博物館になっている。  右下 リュッデ 有名な地ビールのお店

   
   

旧市街をでて ロータリーのところで城山を見上げる。

 
 

細い遊歩道をしばらく歩いて(リュッデのところから15分)教会敷地へ、雨がポツポツ降り始めた。

   
   

聖ヴィペルティ教会 Wiperti-kirche  

http://www.wiperti.de/ ドイツ語(開いてる時間や連絡先は分かります)

ハインリッヒ一世の時代、ここには宮廷があった。 丘の上にたてられたのはここの後。つまりこちらが先。 
教会そのものは950年に建てられ、その後改築されているが、1000年頃のクリプタが残っている。
20世紀にゲシュタポに占領された。1936年 ナチスの記念式典にここも使われた。
このあたりは宗教改革後プロテスタント地域だが、1959年以来カソリック教会となっている。

身廊 東側は ゴシック、 天井は木組み舟底

   
   洗礼盤

北側廊に 1485年の 木彫り彩色トリプティク

 
 

クリプタへ 非常に狭く14人も入ると満杯。 狭くても 三廊に分かれ 角柱と円柱の交替も見られる。

 
 

周歩廊までついている。また墓石も利用されていた。(6世紀から9世紀のもの)

   
 壁に 810世紀の墓石の一部(十字が見える)  
 
 何かの再利用、 また柱頭も特徴的

祭壇 半円ドームには 壁画(13世紀)があるが薄れてよくわからない。であったと思われる写真を見せられた。↓

 
 

中ほどの扉口をでて、タンパン彫刻を見る。1230年頃のもの。

 
 

聖母子の両側で拝んでいるのはオットー二世と テオファノ、
右 膝をたてて祈るのはこの地方に伝わる方法。ひれふしているのはビザンティン スタイル。(テオファノはビザンツ皇女)
ドアノッカーが面白い、 柱の台に蛙?

   
   

ここを出て、ロータリーまで戻り、坂道を登って 丘の上へ、雨は本降りになって、手がかじかんでしまった。 寒い中15分ほど歩く。
ながくなってきたので、 そのUへ