フルダ Fulda(標高261m)
744年に聖ボニファティウスがベネディクト会修道院を建てたことが町の起源
フランクフルトからは85qで、ゲーテがワイマールに行く途中寄った町である。
前回はゲーテの定宿であった、ゴールナー・カルプフェンに泊まったが、今回はその時観光中 「あの宮殿もホテルになっていますよ」と 説明されたホテルに泊まれたので満足。ただしお部屋に狭い、広いはあったようだ。私のお部屋は広いほうだった。
聖ボニファティウス このあたりでよく登場する人物ですが、(672〜754年)一番ゆかりのあるのはここ、フルダ。
イングランド生まれの修道士で、最初フリースランドに伝道に赴いたが、のちカロリング家のカール・マルテルの庇護のもと、ドイツで宣教したので、「ドイツ人の使徒」 とよばれている。最期はフリースランド 伝道中に殺されたが(当時異教徒への布教は命がけだった)遺骸はフルダの大聖堂に埋葬されている。
その後 修道院がふえ、学問・文化の中心地となった。
ローマ教皇の直轄地。国家権力を排除できる 治外法権(その他、貨幣鋳造権、市場権なども)を持っている地としてはアルプス以北で最大。
ペストなどで一度廃れたが16世紀後半から復興。(そのせいか、大聖堂もバロックのゴテゴテ)
朝食 6:30から
この朝食室が素晴らしかった。 アポロザール というらしい。旅支度で入るのは憚れる感じ。
食後 庭園を散歩。
9:20ホテル出発 、目的地はホテルのお隣なので、荷物はフロントに預けて歩きはじめたところで、手さげをもっていないことに気が付いた。そのむね言ってホテルに戻る。お部屋にはない! 探しているうちに ロビーのソファーに置き忘れているのを見つけた。10分くらい皆様をお待たせしてしまったようだ。 平謝りにあやまった。
そうして大聖堂前に着いたが、現地ガイドはまだ来ていない。ホッ。 観光予定を狂わせたことにはならなかった。
9:40ごろ ガイドが現れ、まだ教会がひらいていないから、とすぐそばのダリア園に案内された。ダリアは日本では今はやらないお花だ。こちらでは ダリアは秋の花で満開だった。
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向こうの 円塔は 魔女の塔 |
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向こうの 円塔は 魔女の塔。 魔女狩りの際 魔女が投げ込まれた、というのではないそうだ。 1170年ごろ造られた城壁の塔の一つだ。
帰って思い出したが、前回はこの魔女の塔を反対側から見ている。
10:00〜10:15 ミヒャエル教会 St. Michael's
Church
以前、ここにあった、フルダ・ベネディクト会修道院の修道士墓地のチャペルとして 819〜822年に建てられた。
カロリング朝のクリプタが残っていることで有名で、前回も見学。
大聖堂より一段高いところにある。
クリプタはエルサレムの聖墳墓教会をモデルとした建築のドイツ最古の例に属する。 変形イオニア式柱頭。
前回は、一本の柱で支えられた部屋に感激したものだが、2014年にサン・ミシェル・ド・キュクサ修道院のクリプタ http://ykharuka.s113.xrea.com/swfrance2014/main.html (三日目そのU)を見た目には、さほどの感激はなかった。
上部(下写真右)は元の面影はとどめているが、12世紀に改築されている。祭壇部分は八本の柱で ささえられている。(絵葉書から)
ここを出て下の 大聖堂へ Fulda Dom
1704〜1712年にかけて造られたバロック様式の教会。
クリプタの 聖ボニファティウスのお墓をみて、すぐ外に出る。
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聖ボニファティウス のお墓 |
ホテルに戻って、荷物を取り、10:50 バスで10分弱のフルダ・ノイベルクにある
聖アンドレアス教会へ St.Andreas
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聖アンドレアス教会への階段 |
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1023年に献堂された教会で、改築されて姿を変えているがクリプタは当時のままでオットー朝の壁画が残っている。
ビザンツの影響があるといわれる壁画。かなり薄れているので、判じ物のように場面を読み取っていく。
天使たち
マンドルラの中のキリスト、 左下に アベル
天使の絵が多い この王冠型の飾り 新しい 2005年
狭いので全体写真は撮れなかった。
上に上がって 本堂 1764〜67年に造られたバロックの身廊 1994年に造られた木彫の聖母子が飾られていた
11:25 バスで バンベルク を目指す
乗って20分過ぎたころから少し山の方に入った。(
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11時44分 |
11時48分
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12時57分 川が見えてきた。 そろそろバンベルクが近い。
天気が悪くても水辺を見るとなごむ。そのUへ
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