9日目

10月12日 

レーゲンスブルク滞在  
 



レーゲンスブルク 滞在
レーゲンスブルクに連泊して、今日の午前は観光 午後はフリータイムという予定だ。

レーゲンスブルクという町、私はロマネスク教会があることよりも前に池田理代子さんの漫画「オルフェウスの窓」 の舞台として知っていた。
昔、娘と読んでこの町にいくことを夢見ていた。といっても もうほとんど忘れている。おぼえているのは 石橋くらい。でも ネットで検索すると 「オルフェウスの窓」 の面影を求めて、この町に旅する人はいるようで、発見したのは、泊まっている このホテル・マキシミリアンも舞台の一つなのだそうだ。ショルツ先生が泊まっていたホテルという。ショルツ先生なる人物は憶えていないけれど、ゆかりのあるホテルに泊まれて幸せ。 
 
 
 
 ホテル、ここに泊まっているとおもうだけで うれしくなってしまう。
レーゲンスブルクという町はケルト時代に遡るが、紀元77年、ローマの歩兵部隊の駐屯地がおかれ、179年には軍団(レギオン)駐屯地となり城塞(カストルム)が築かれた。そこからレーゲンスブルクの名が生まれた。

その後ゲルマン系部族が進出、バイエルン公のものとなったが、787788年にフランク王国の支配下にはいった。
それ以前、739年にはボニファティウス創設の新司教区の司教所在地となり、宗教的中心ともなった。

700 朝食

815ホテル出発 徒歩観光
Googleマップ黄色い星印が今日回るところ 右下がホテル

 
 

聖エンメラル教会に入るつもりだったがまだ開いていなかったので、先に 聖ヤコブ教会(ショッテンキルヘ)へ
843915

聖ヤコブ教会 St James’s the Schottenkirche  http://www.schottenkirche.de/ Garerie で写真が見られます。 

アイルランドから大陸への布教第二弾として11世紀にやってきた修道士たちが1090年頃にベネディクト会修道院を開き、12世紀後半に教会が新築された。
この教会は 北扉口とその周囲の彫刻が見どころ。 ただし保護のためガラスでおおわれていて、建物全体が よく見られなかった。

建物全体像は グーグルマップから 

 
 下中央の差し掛け屋根のところが入り口で下の彫刻があるところ
 
 

ここの人物像は なんだか 仏像っぽい 

 
 

ワニ見たいなドラゴンはイタリアでよく見たが、 左は?中段 中央は アンチクリスト

 
 

その下、 PAMPHLETでは ワニになっている 向かって左のは羽もあるから ドラゴンだろう。  その上も面白い。

 
 

キリスト ヤコブとヨハネ 

 
 
中に入る。平面図Fの横の階段が入口、つまり上の写真とは左右逆になっている。
 
 

入ってすぐの壁にF 修道士の姿、 鍵番だそうだ。リュダンと名前まで彫られているそうだ。 左に見える穴に防を差し込む。

柱頭彫刻は 復刻か?

   
   
身廊
 
 

12世紀末の作品で 彩色されたのは1874

 
 

この教会の守護聖人 聖ヤコブ 1310〜 20年作    聖クリストファロス 1390年頃の作     ゴシック時代(1370年頃)の磔刑 釘は三本

     
     
西側 
 
 

さきほど入れなかった 聖エンメラム教会へ

聖エメラム教会nSankt Emmeram (918942

http://www.st-emmeram-regensburg.de/de/pfarrkirche.html  (あまり参考にはならないが、一応のせておく)

700年に殺されたポワティエ(フランス)出身の司教エメラムは先行するゲオルグ教会に葬られた。教会は 812世紀、 173133年にアサ兄弟の手でバロック化されている。

 
 
 
 平面図 右下の四角いところが ナルテックスで その奥に二つ入口がある

門を入ってからの アプローチがなかなかいい。

 
 

北側入り口 104960年 最初は 聖エメラムだけに献じられていたが、13世紀に聖ディオニシウス(サン・ドニ)にも献じられることになったので入口二つ。

向かって左がエメラム用入口 うっすら フレスコ画がのこっている。

 
 

西側 西構の様式を残している。西祭壇はディオニシウス用。

   
   

西側にあるクリプタに降りる。1052年に奉献。

 
 

中央は八角柱 側廊側は円柱  柱頭彫刻も簡素である。
クヴェトリンブルクの聖セルバティウス教会と構造は同じだが、お金をかけられなかったのでこちらのほうが簡素である、と説明された。

上へあがって身廊を見る。バロックの装飾がなされているが、原型のロマネスクはみてとれる。

 
 

教会を出て川に向かって歩く。あのアーチの先が橋 

 
 

石橋を見る。 113546年頃に造られた。全長330
123世紀はレーゲンスブルクの最盛期で商業が栄、この橋も流通路しての必要性から造られたもの。
1245年には自由帝国都市となったが、14世紀に入ると、アウグスブルクやニュルンベルクにおされて繁栄は翳りを見せるようになった)

プラハのカレル橋はこれを まねたそうだ。これが見たかった!が復中。何年もかかっているらしい。

 
 
 
 

川べりの眺めはバンベルクのほうがずっと美しい。 対岸からのほうがいいのかもしれない。

レーゲンスブルク名物ソーセージ屋さん。 希望者の夕食はここ。

   
   

大聖堂に向かう。途中のすてきなところ

 
 
 
 

大聖堂は そのUで