9日目-2


バス
トロネは深い森の中にあった。最近はアルプスの雪が少ないので旱魃だそうだが、見たところ緑はゆたかだった。
サン・マキシマン・ラ・サント・ボーム
ここは13世紀にサン・マキシマンとマグダラのマリアの墓が発見された場所。
マグダラノマリアのお墓というのは、ブルゴーニュのヴェズレーにもある。サント・マドレーヌ教会のクリプトで見た。(フランス東部の旅7日目) 
1050年に、ヴェズレーの教会は聖女マドレーヌに捧げられたが、1279年 アンジュー伯シャルルの夢枕にマグダラのマリアが立ち、(イスラム教徒の襲撃から守るため隠されていた)墓の場所を教えた。その場所に遺骸を発見。遺骨をマグダラのマリアのものと認証させることができて(1295年、教皇ボニファティウス八世が公認)、その結果この地は巡礼で賑わうようになり、ヴェズレーはさびれることになった。 

マグダラのマリア とは、イエスにより悪霊を追い出してもらった罪の女であるが、悪霊をおいだしてもらってからはイエスに付き従い女執事のような役を務めたという。イエスに深く愛されたとして、『ダビンチ・コード』にでてくる女性である。
サントマリー・ド・ラ・メール に着いた後、このサント・ボームの岩山の洞窟で悔悛(マグダラのマリアは石もて追われる娼婦であり、またマルタの姉妹、墓からイエスによって蘇ったラザロの姉妹、すべて同一人物とされている)の日々を送った後サン・マクシマンの地下礼拝堂に埋葬されているのだ。
到着したのは、『黄金伝説』 2 ヤコブス・デ・ウォラギネ 平凡社ライブラリー  によるとマルセイユとされている。



 

 

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サン・マキシマン・ラ・サント・ボームは一般のツアーではなかなかいくチャンスのないところなので、楽しみにしていたところ。
シャルルはここに聖堂と王立修道院(ドミニコ会)を建てた。勿論今は修道院の活動は行われていない。 出会いの文化センターになっている。
この修道院の回廊、参事会室がレストラン クーヴァン・ロイヤル である。郷土の名店ということで、期待して入る。

回廊レストラン、我々はここではなく、もと参事会室で パーティ

回廊で囲まれた中庭に人がたくさん。今日は銀行家の集まりとか。
そのせいか、少し食事を運でくるのが遅かった。
うずらのテリーヌ(?) 鴨肉、タルトタタン ワインはこの土地のもの、ということだったが、さほど、、。

鶉のテリーヌ

鴨肉 タルト・タタン

食後、 教会へ

修道院回廊  教会入り口上部

教会正面は未完成で一部粗い石のままだった。
内部はゴシックで天井が高い。立派な祭壇がいくつもあった。
オルガンのパイプは革命の折、ラ・マルセイエーズを弾いて、救われた。

ロンツェンによる祭壇画(下に拡大)

いかにもゴシックの太い柱

パイプオルガン(拡大するとオルガン背後の壁がはっきりします)

アントニオ・ロンツェン(16世紀) 受難サイクル、中央の磔刑、キリストの足元にマグダラのマリア

フランスの教会や修道院は革命で、かなり壊され廃院に追い込まれた。この教会はナポレオンの弟のリュシュアン・ボナパルトをかくまったが彼はとても才覚のある人で教会を食料保存倉庫にすることを思いついて、難を逃れたのだそうだ。オルガンを救ったのも彼のアイディア。
地下礼拝堂 ここはローマ時代の荘園の地下埋葬所だったところで、4世紀の石棺が四つあった。

奥には19世紀の聖遺物箱 、中には マグダラのマリアのものとされている頭蓋骨 

これでは見えないので、買ってきた本の写真を借りた(右)。本にはもっとリアルな骸骨ハッキリの写真も載っていた

カソリックというのは本当にこういうのが好きだ。頭骸骨だけでなく聖人の遺骨全部、頭のてっぺんから足の先まで 全身をガラスケースに入れてあるのも見たことがある。 日本人の感覚にはない。

同じ日に、清貧のうちに祈り働くシトーの館と王の庇護を受けた修道院・教会を見たことになる。

15時過ぎ ガイドのO氏は「洞窟へ行きましょう」 となんだか張り切っていらっしゃる。
サン・マキシマンのバジリカには来ることになっていたが、聖女が三十年住んだというサント・ボームの岩山中腹にある洞窟は観光予定には入いっていない。ラッキーという気分。そこまで行くツアーはまずないし、女独りでいける場所ではないのだ。
 
バス移動

16時5分〜18時20分 サント・ボーム
バスを降りると、森の向こうに白い岩壁がそそり立っている。崖の途中に何か建物。そこに聖女マリアが悔悛の日々を送った洞窟がある。

目指す洞窟は中央に見える建物のところ 岩山の上にあるのは サン・ピロンの礼拝堂
この緑の森の中を縫うように登っていく

時間も時間なので、予定にはない登山に添乗員さんは少し躊躇しているが、私はとても行きたかった。のぼり40分という。歩くのがつらい、と登りたくない方もいらしたが、行きたい組に押されて登ることに決まり。
お二人がバスに残られた。(近くに売店・カフェはある)
いらっしゃれない方には 申し訳ない気がしたが、喜び勇んで(?) 歩き始める。

「山道です」とO氏はおっしゃったが、平坦な道が少し続いた後は木で土留めはしてあるが坂で、 だんだん苦しくなってきた。落伍しそうになったが、行きたがった手前、「ここで待ってます」とは言えない。いよいよダメ、というところで、整備された石段(150段)になって最後の登り。私は43分くらいで着いた(一番ビリ)。

入り口

海抜946メートル。といっても上り始めの地点もかなり高いはず。普段歩きなれていらっしゃる方々にとっては さほど苦労ではなさそうだった。
テラスからの眺めがいい。あちらが、サン・ビクトワール山です、といわれたが、セザンヌの絵と方向が違うのでよくわからない。

入り口もそうだが、中にはいって、ああ、これがカソリックの聖地なのだな、という感じがした。マグダラのマリアの白い彫像がいくつも置かれている
洞窟はかなり、広い。(幅24メートル、奥行き29メートル 高さ4〜6メートル) 天井板や床を貼ったりしていない。むき出しの洞窟である。
天使によって上げられるマリア。ここは岩山の中腹にある洞窟。毎日天使たちが、ここからさらに聖女を空高くはこびあげて、天の音楽を聞いたという。

天使によってあげられるマリア 十字架にかけられたキリストの足元のマリア

これが洞窟内の中央祭壇 (ビデオで撮ったためはっきりしていない、斜めになっていたので、回転させた)、
奥に祈るマグダラのマリア (クリックで、パンフレットの写真)

ステンドグラス (1983年) はっきりしないが、左から  〈イエスの足に香油を注ぎ髪でぬぐう〉  〈マルタは働き、マリアはイエスの話に聞き入る〉、 〈蘇ったイエスに会って、「我に触れるな」と言われる〉 という場面が描かれている

横に地下に下りる階段。 鍾乳洞に入ったときのように、ポタポタ水が垂れてくる。足元にも水溜り。かなり暗い。
地下にも彫像と聖遺物箱が置かれていた。

瞑想するマリア(地下にある)(19世紀)

聖遺物箱(ぼやけているが)19世紀

サント・ボームという言葉自体 聖なる洞窟、という意味だそうだ。 古来からの山岳信仰とか何かの名残もあるのだろうか。ミステリアスな場所であることは確かだ。
まだここは山の中腹 見ると、さらに山の上には小さなチャペルらしきもの。
もしかしたら、聖女が天使に抱え上げられて音楽を聞いた場所に作られたチャペルではないか(帰ってしらべてみたら、やはりそうだった) あの険しい崖をどのようにして登るのだろうか、 『フランス歴史の旅』 朝日選書 の著者 田辺保氏は登っておられる。

奥の建物はここを管理するドミニコ会のもの

くだりは楽。森林浴を楽しみながら歩いた。
ここで、現地ガイドのO氏にマルセイユの治安についてお聞きした。 明日の午後のフリータイムにできれば、マルセイユに行きたい。「折角のプロヴァンス、海を見ないなんて」。モンテクリスト伯のイフ島が船で簡単にいけそうなので、出来れば、と考えているがマルセイユは港町で治安が悪いと聞いている。O氏によると、エクスから着く長距離バス(所要時間30分)の停留所がもっとも危ないところだそうだ。やはり残念だがあきらめることに決めた。

降りて、売店で少し買い物をして、バス。
バスで少し動きはじめたところで、その道は通行止めといわれて、運転手さんはルート変更。
疲れてうとうとして、ふと、窓外を見ると、びっくり、岩山の峠を越えている、イロハ坂で素晴らしい景観。

7時過ぎ ホテル到着
今日も夕食がついていない。
添乗員さんが、今夜は日本食レストランに連れて行く、というので私はパス。海外にきてまで日本食をという気にはなれない。
それで、持ってきた、カップ春雨を食べてしまうことにするが、これだけでは夕食にはさびしいので、少し買い足すことにした。
ロビーでは一行がなにやら思案中、お目当てのレストランが10時まで満席で空かないので、どうしよう、という。私は日本食でなければ一緒に、という気があったが、ともかくスーパーが8時に閉まるので買い物にでかけた。
クスクスとプラムを買う。
このホテルは お部屋に電気ポットが備え付けられているので、お湯を沸かして、 Fさんとお食事。